銭鍾書評桑塔格(メモ)

宋以朗「我的父親宋淇與銭鍾書」『上海書評』2011年10月9日、pp.4-6*1


宋以朗氏*2は張愛玲の遺産執行人として知られているが、上掲のテクストでは氏の父親、宋淇と銭鍾書*3との手紙のやりとりが紹介されている。 宋淇と銭鍾書は1942年頃に上海で知り合ったが、1949年以後、宋淇は香港に移住し、銭鍾書は内地に残った。香港移住後、宋淇は大陸に残った友人に政治的な累が及ぶのを恐れて、内地の友人との通信を一切絶ったが、1979年から文通は再開され、1989年までの10年間に計138通の手紙がやりとりされた(p.4)。
さて、1981年に宋以朗氏がスーザン・ソンタグ*4Illness as Metaphorを送ったという話が出て来る(p.6)。その返事に曰く、


Sontag書極怜悧、然正如其Against Interpretation, 偏鋒甚鋭、而立説未圓。例如tuberculosis誠如所言藉metaphor以逃避惨痛現実;cancer則on her showing 似未可相提併論。Tuberculous:病婦成為十九世紀末文学中典型(La femme fragile、見《管錐編》753頁注5)、告兄資談助、聊補Sontag書所未及云。
また、『管錐編』について宋以朗氏曰く、

査《管錐編》引文、其実只有一句相関:”欧洲十九世紀末詩文中有’脆弱女郎`一類型、具才與貌而善病短命”、附注是一部徳文書:Ariane Thomalia, Die “Femme Fragile”: ein literarischer Frauentypus der Jahrhundertwende, 中訳可作《脆弱女郎:世紀之交的一個文学女性類型》。
1981年の段階でスーザン・ソンタグが中国大陸に紹介されていたかどうかは知らず。
隠喩としての病い

隠喩としての病い

反解釈 (ちくま学芸文庫)

反解釈 (ちくま学芸文庫)

銭鍾書は通常「莎士比亜」と表記されるShakespeareを、上海語読みに基づいて「邪士胚」と表記していたという。また、通常「艾略特」と表記されるT. S. Eliot*5は『囲城』及び『談教訓』では「愛利悪徳」と表記されているという(p.4)。
結婚狂詩曲―囲城〈上〉 (岩波文庫)

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結婚狂詩曲―囲城〈下〉 (岩波文庫)

結婚狂詩曲―囲城〈下〉 (岩波文庫)