浮かび上がるのは

「読書の価値を上げるために」http://d.hatena.ne.jp/Asmodeus-DB/20110831/p1


曰く、


 人は観たいものしか見えない、とは良く言います。本を読むときも同様で、観たいと思ったものしか見えなくなってしまっている、ということに行き当たったのです。つまり、多読によって同調者探ししてるだけ、という。「そうそう、この本の作者は自分の言いたいことと同じ事を言っている!」というのを探すために本を読んでしまっている、という状態。もうちょっと核心部分に近づけると「この本の作者は、さっき自分が本で仕入れた知識と同じ事を言っている!」です。多読をすると細かく読まなくなるので、どうしてもそういう目を引く部分だけ読んでしまうのです。

 なので、幾ら本を読んでも「私の考えていることは他の多くの本で裏付けされている!」という方向に進むだけで、新しい知識を得てないという穴にポッコリとハマっている状態だった訳です。もちろん意味が全く無いわけではないです。多くの人が同じように言っていることは割と共通して価値があることだったりもしますから、そういうことの抽出には意味がある。でもあまりやりこみすぎるのは時間の無駄だな、と感じました。

ふむふむと頷いてしまう。認知的不協和とその低減*1ということからも。ちょっと違う角度から考えてみた。同工異曲の本を何冊も読んでまで確証しようとする何か。その何かから浮かび上がってくるのは、その何かに拘る自己の輪郭だろう。