http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101124/1290623454に対して、
秋菊 2010/11/25 10:11
引用が一切無いことも含めて、内田氏の「自分探し」定義にはドグマティックでなんだかなあ。もう親の顔見れば自分探す必要ないじゃんとかw自分自身で獲得した(したかった)「自分」の介在する余地はまるで無いのか、とか。sumitaさんが最後で言及された「探す主体としての『自分』」が存在しないのも大問題だと思います。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101124/1290623454#c1290647499
そうか。内田さんが批判している当の対象の存在そのものが怪しいということになるのでしょうか。
Nessko*1 2010/11/25 11:11
内田氏は、若いときに自分がしてきたことを思い出して語っているだけなのかもしれませんね。
彼の言う「自分らしさ」イデオロギーなんてものが、ほんとうにあるのかどうかすら疑問です。
全共闘世代のライターが、学生時代の暗かった自分を否定して、暗くなって悩むのは無意味、バカのすることだと書き散らしたおかげで、下の世代は根アカでいることが強迫観念になって、悩んでいる自分を認めて受け入れてくれる場所がオウムしか見つからなかったなんていうことが過去にあったことを思い出しました。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101124/1290623454#c1290651081
ちょっと考えたのですけど、或る種の原理主義でしょうか。原理主義者にとっては、〈最初〉、つまり耶蘇の頃、ムハマンドの頃、親鸞の頃等々が最上であり、それから後のことは余計というか、堕落の歴史でしかないわけですから。でも、そういう原理主義的な思考が蔓延しているのでしょうか。
T. S. エリオットの
という言葉をエドマンド・ウィルソン『アクセルの城』*2(pp.167-168)から引用しようとしてしそびれたのだが、これは、かっこよすぎるぜ、エリオット! に尽きる。
詩とは情緒を解き放つことではなく、情緒からの逃避である。個性の表出ではなく、個性からの逃避である。しかし、ひとり個性と情緒をもつ者だけがそれらから逃れたいという願望の意味を知ることは言うまでもない。
- 作者: エドマンド・ウィルソン,土岐恒二
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