堀田善衛『上海にて』

上海にて (集英社文庫)

上海にて (集英社文庫)

堀田善衛『上海にて』を読み始めたのは昨年の10月頃で、11月の初めにはその中からボーヴォワールの文章を孫引きしている*1。どういうわけか、この(大江健三郎による「解説」も含めて)全部で250頁足らずの本を読了したのは一昨日のこと。半年以上もかかったわけだ。実際には半年間この本を読み続けていたわけではなく、数か月間放置していたわけなのだが。自分が現在住んでいる上海という都市に、しかも戦争末期から日本の敗戦直後という激動期に住んでいた作家の記録・回想ということで、興味が湧かないわけがない。著者も「一九四五年三月二十四日から、一九四六年十二月二十八日まで、一年九ヵ月ほど上海での生活は、私の、特に戦後の生き方そのものに決定的なものをもたらしてしまった」と述べている(「はじめに」、p.9)。しかし、読み進めていくうちに違和感が出て来て、段々と読む気が失せてきたのだ。それで、数か月間放置してしまった。その違和感はどういうものかというと、ここにある「上海」というのは結局のところ、欧米列強にとっての「上海」、日本軍にとっての「上海」、或いは中国国民党にとっての「上海」、中国共産党にとっての「上海」だということだ。そこで欠落しているのは、肝心要の上海人にとっての上海なのだ。そして、それに〈中国〉に関する本質主義的(或いは超歴史的な)詠嘆が重ねられる。例えば、1945年に著者が武田泰淳*2と南京に旅行して、南京の城壁に上り「紫金山」*3を眺めた時の回想;


紫金山の美しさ加減、また長江という、河とはまったく申せぬ猛烈さ加減、華北の曠野の非人間的なまでの広がり、そういうものは、もしそれを表現したいと思うならば、人間とその歴史の怖ろしさ、徹底的な激烈さ、残虐さ、とにかく人間という人間の、徹底的な何物かを通じてでなければ到底表現出来るものじゃないという観念を、私はあの城壁の上で得たと思う。中国のむき出しの自然は、畑のなかにジャンクの帆の見えるところででも、あるいは塞外の砂漠に近いところででも、どこででも『史前』、つまり人間の歴史以前、あるいは『史後』、人類が絶滅して、人間の歴史が終わり果てたときの風景、そういう徹底的なものを、眼前に、じかにくりひろげて見せてくれるからである。自然は歴史以前もこうだったのであろう。そして歴史以後も、恐らくこうであろう。見た眼にはなんのかわりもないであろうという徹底したもの……。この場所に於ける現代、近代化、未来、それらのことを考えるためには、私にはもとより及ばぬところであるが――せめて毛沢東ほどにでも哲学者である必要があるだろう。(pp.33-34)
この一節を読んで、脱力してしまったのだ。
さて、この本は、著者が1957年に中野重治井上靖本多秋五山本健吉十返肇、多田裕計といった人々とともに中国側の招待によって行った中国旅行に基づいている。政治史的に言えば、この頃中国は〈反右派闘争〉の真っ最中であった。この本の構成は(表題作である)「上海にて」と「惨勝・解放・基本建設」からなる。後者は主に重慶での見聞に基づく。
この本に感じた違和感の少なからぬ部分は、この本が書かれた1950年代後半とこの本を読んでいる21世紀初頭の時間的隔たりに起因しているのかも知れない。「惨勝・解放・基本建設」の、

基本建設の、その方法がいまのところ古代的であろうがなんであろうが、それによって最も現代的な施設が出来てしまえば、それが現実に出来さえすれば、その環境が古代的であろうがなんであろうが、それはもう現代なのだ。かつてアメリカも欧州に比べては広大な後進国にすぎなかった。
アメリカとソヴェトという巨大国家は、ヨーロッパ的な意味では、近代という、この二つの国にくらべれば、いまではおそらく“中間的”ということになるであろう時期をもたなかった。アメリカもソヴェトも、広大な土地に、おのおの革命後に、そのときどきの最新、最現代的な技術をとり入れて近代をとびこして現代を建設した。革命後のソヴェトに、数多くのアメリカ人技師がいて、この後進国ロシアを現代化するために、その多くは献身的に働いたことを報告している文書はいくらもある。フォード工場は、ある時期のソヴェトの理想にちかかった。いま、中国はソヴェトの指導をうけ、この二つの国の後を追っている。技術というものは、新しくなればなるほど、操作がやさしくなって行く筈のものであると思われる。
歴史は大きく変わりつつあるのだと思われる。二十世紀は欧州的な意味、乃至近代という観点から見た場合、アメリカとソヴェトを先頭とする後進諸国が巨大な歩調で現代化し、未来化して行く、その舞台になっているようである。そこに、まったく別個な現代のイメージが生まれつつあることはたしかである。(pp.223-224)

かつて私は成都出身の青年を一人知っていた。無智な私があるとき、成都なら新疆省やチベットが近いな、と言ったことがあったが、そのとき彼は、当然なことながら、言下にバカをいえ、と言い、そんなところ行ったら死んでしまうよ、と答えたことがある。しかし、解放後、重慶成都間に鉄道が出来、「中国青年号」という名の、中国出来の機関車がそこを走っていたが――成都からチベットのラサのもっと先の方まで、既に公路が出来、トラックも行くようになった。死ぬようなところではなく、朝晩は毛皮を着なければならないが、日中はとてもあたたかくて気持ちがいいところであるということが、あらためて発見された。
この国の現状は、ある意味ではアメリカの一八八〇、九〇年代に似ている、と私に思われた。アメリカのその頃のことは、ものの本でしか知らないのだが……。彼等は、たとえば西北地区の蘭州を中心に、新しい“カリフォルニア”を築こうとしている……。(pp.219-220)

中国やソヴェトの基本建設、自然改造は、人民自体にとって哲学的な意味をもつ。後進国においては、自らの後進性こそが、むしろ特権であり、武器であるのだ、という現実認識が民族のバネになる。従って、今日、これらの国々においては、その国の存在は、また歴史のリアリティは、過去の遺産によってであるよりも、むしろ未来によって保障されているというかたちをとる。(p.226
といった言葉たちを読みながら、何と脳天気な! と呆れてしまう私の精神はやはりポストモダンなのだと改めて思った。
堀田善衛に対して否定的な言葉ばかり陳ねてしまったが、この本の中には、「文学」と「社会悪」の関係についての、さすが文学者! という感じの勘のいい一節もあることを述べておく*4

ところで、上海人にとっての上海ということに関しては、例えば竹内実『中国という世界』第8章「上海・流行の先端」、第9章「上海女人と近代女性」とかを参照されたい。また、日本敗戦直後の上海を舞台にした堀田善衛の小説として、「漢奸」をマークしておく。

中国という世界―人・風土・近代 (岩波新書)

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広場の孤独 漢奸 (集英社文庫)

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