熊猫の起源

譚楷「誰最先発現了大熊猫?」『南方週末』2009年3月26日


1869年2月から4月にかけて、仏蘭西人のカトリック宣教師Armand David神父*1成都を出発し、四川省穆坪(現在の雅安市宝興県)の勝g池溝の教会*2に赴いていた。3月11日に李という家で休んでいたところ、壁に掛かっていた白黒の毛皮に注目した。主人によれば、これは「這一帯的高山密林中隠蔵的獣類」で、現地では「花熊」と呼んでいるという。約10日後に、或る現地の人が「花熊」の幼獣を捕まえてきてくれたが、David神父が抱きかかえた頃には既に息が絶えていた。4月1日になって、或る猟師がまたおとなの「花熊」を捕まえてきてくれた。この夜、David神父は巴里の自然史博物館長Henry Milne-Edwards*3宛の報告書を書いた。EdwardsはDavid神父の報告と毛皮と骨格を基に、これが「新種」であるとの結論を下した。最初は「黒白熊」と呼ばれた。その後、1821年にヒマラヤ山麓で発見されていた「小猫熊(Lesser Panda)」に倣って、「大猫熊(Giant Panda)」と呼ばれるようになった。
では「猫熊」は何故「熊猫」になったのか。


1945年、在重慶北碚展出猫熊時、由於英文標語従左到右読、中文順従英文排法、従左到右排列為“猫熊”而按中国的習慣念法、従右到左念読、於是新聞記者将它写成“熊猫”。従此、熊猫之名便在中国“約定俗成”、固定下来。
以前どうして台湾では「熊猫」ではなく「猫熊」と呼ぶのかと思ったことがあったが*4、歴史的には台湾での言い方が正しいことになる。
英語に合わせて、左から右へ「猫熊」と書いたら、右から左へ「熊猫」と読んでしまった。ところで、屋名池誠『横書き登場』*5でも述べられていたが、そもそも右から左への横書きは横書きではなく、1行1文字の縦書きだった。中国における横書き*6の歴史についてはよくわからないが、1945年当時、現在行われているような左から右への横書きは殆ど普及しておらず、そのことが「猫熊」を「熊猫」にしてしまったことになる。
横書き登場―日本語表記の近代 (岩波新書 新赤版 (863))

横書き登場―日本語表記の近代 (岩波新書 新赤版 (863))

中国では古来パンダは、「花熊」のほか、「貘」、「貊」、「白豹」、「食鉄獣」、「貔貅」、「白狐」と呼ばれていたという。大方、ムジナの仲間だと認識されていたようだが、「食鉄獣」って何?
1870年に巴里でパンダの標本が公開されてから、1930年代まで四川省にはパンダに萌えたハンターが世界中から押し寄せ、遂には絶滅危惧種になってしまった。

*1:See http://www.phoer.net/bbs/thread-12548-1-1.html

*2:See eg. http://blog.sina.com.cn/s/blog_5016c47a0100crna.html

*3:See http://www.1911encyclopedia.org/Henry_Milne-Edwards

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070119/1169238285

*5:これは単行本では読んでいないが、『図書』連載時に読んだ。

*6:日本語の横書きについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071210/1197307578も参照されたい。