「在日」の言葉

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070616#p2にて知る。
コリア国際学園開設準備委員会委員長」である詩人の金時鐘氏;


振り返れば、在日同胞にとっての民族教育は、本国の南北いずれかの国家権威に偏った国家主義的民族教育でありました。ために、せっかく習った母国語でさえも 同族融和の言葉としては働かず、むしろ対立をかき立てる分別の言葉として居座ってきました。

  歴史の勉強にしても、分断対立の本国ではとうてい相容れない、絶対矛盾の体系で教えられてきたのが、従来の民族教育でありました。それに民族学校は就学総生徒数の二割にも満たない、少数の同胞の子どもたちをもって「民族教育」と銘打ってきましたし、絶対多数の同胞の子どもたちは、日本の学校で、在日の独自性も民族の意識も顧みられないまま、日本の子どもたちと“平等”に扱われて、日本への同化に事もなく馴染んできました。

  その間にも在日同胞社会は年を追って多様化してきています。国籍ひとつを取ってみても、韓国籍朝鮮籍日本国籍二重国籍等に分化し、さらには中国籍の同族も目立ってきています。このようにも多様に重層化している在日同胞の存在性は、もはや南北の本国と在日同胞という単一な関係で図れるものできなくなってきており、不可分に、東北アジア的視野を持って、日本で生きていく意味と展望を見出さねばならない必然に迫られています。
http://www.kis-korea.org/greet.html

先ず注目したのは「中国籍の同族も目立ってきています」ということ。姜尚中氏も「在日コリアン社会での「ニューカマー」韓国人や中国朝鮮族の人びとの存在感の高まりなど、コリア系マイノリティのネットワークひとつ見ても、国境を越えた動きが確実に広がっています」という*1
この2人のテクストを読んで思ったのは、〈南北〉と〈日本〉によって規定される〈在日〉という閉域的な在り方に穴を穿つ試みが顕在的になってきたのかなということ。これは的外れな感想だろうか。「在日同胞の持つ文化的、血縁的な異種混合性、さらには世界各地に散らばって暮らす離郷性(ディアスポラ)を併せ持っている在日コリアンこそ、南北の祖国と今もって歴史的清算を遂げずにいる日本との接合点的存在であり、ひいては東北アジアと日本をつなぐ共生の生きた架け橋ともなれる私たちです」(金時鐘)。