過去


自己の体験を物語化して書き・語ることによって、自己の過去から距離を取ることができる。
と書いたのだけれど、自己の体験は、それを物語として語ることによってはじめて、過去の出来事として構成されるとした方が適切ですね。私の視点或いは私の語りを離れて過去が自然的に存在するわけではない。私の、或いは誰か他者の語りによって、(例えば日本語の場合だと)終助詞「た」というマーカーが加えられることによって、その体験=出来事は〈済んだこと〉になる。そうでなければ、〈済まないこと〉として、記憶力の都合によって忘却でもしない限り、曖昧な仕方で〈現在〉であり続けることになる。

 ところで、「鰻魚炒飯」を出す店が増えてきたようだ。今後流行るのか。ウナギ・チャーハン、嫌いではない。