他生の縁?

Grand Family Orchestra*1というバンドも千葉龍太郎という人も知らないのだった。小坂明子さん*2の御子息なのね。
『音楽ナタリー』の記事;


GRAND FAMILY ORCHESTRA、元新世界リチウムのメンバー千葉龍太郎が死去
2018年5月26日 23:26 416


GRAND FAMILY ORCHESTRAのメンバー千葉龍太郎(B)が5月24日5:00頃に死去した。30歳だった。

バンドはオフィシャルサイトを通じて千葉が亡くなったことを報告。死因については「不慮の事故」と説明している。葬儀は家族葬となるが、6月12日に東京・吉祥寺WARPにて音楽葬が行われることが決定。会場には献花台も設置される。

千葉は所属していたバンド新世界リチウムの解散後、松山晃太(Vo, G / BYEE the ROUND)、ピクミン(Dr / ex. ハヌマーン、GRIKO)と共にGRAND FAMILY ORCHESTRAを2016年に結成。ギタリストとしてえばたA.F.あいと森山良太を迎え入れ活動してきた。2017年8月にえばたA.F.あいが急逝し、バンドはその後もサポートメンバーを迎えて活動を継続してきたが、千葉の死去を受けてこれ以降予定していたライブはすべて出演キャンセルとなった。
https://natalie.mu/music/news/283939

また、『デイリースポーツ』の記事;

「あなた」の小坂明子 長男の事故死を明かす「悔しさに声が出ない」
5/27(日) 13:19配信 デイリースポーツ



 自身の作詞作曲による「あなた」(1973年)の大ヒットで知られる歌手・小坂明子が26日、ブログを更新。長男でベーシストの千葉龍太郎氏が事故死したことを明かした。30歳だった。

 小坂は「悲しいお知らせ」のタイトルで更新*3。「突然の訃報で皆様に驚きと悲しみをお送りしなければならないことをお許しください。長男、千葉龍太郎は2018年5月24日午前5時 不慮の事故で永眠しました。享年30歳でした」とつづった。

 突然の別れに、「龍太郎は新世界リチウムで開花し、これからのGRAND FAMILY ORCHESTRAの活動を誰よりも愛し、喜んで燃えていただけに、さぞかし悔しさで一杯でしょう。家族はもっともっと悔しさに声が出ないです」と、苦しい胸の内を明かした。

 自身と同じ、音楽の道を歩んだ息子に対して「息子として、私の音楽をリスペクトしてくれていた龍太郎。彼のベースに魅了されていた私。ベーシストとして生き抜いた龍太郎を誇りに思います」と、メッセージを送った。

 「皆様のたくさんの応援は彼の生きる源でした」とファンに感謝。そして「彼の有り余る才能を私の中に入れて、私は音楽を続けます。突然に消えた不器用で天才な龍太郎がきれいに天国に行けるよう小坂明子および(株)NNGはしばらくの間、喪に服します」とした。

 バンドの公式ホームページでも、「大切なお知らせ」として訃報を伝えた。葬儀は家族葬で行われ、6月12日に東京・吉祥寺WARPで音楽葬を行うことを報告。献花台も設置するという。バンドの今後の活動も不透明とし、「どういった決断をするのかわかりませんが、どこかのタイミングでお伝えできればと思っています」とした。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180527-00000074-dal-ent

『日刊スポーツ』の記事;

小坂明子「まさに音楽バカだった」急死の長男偲ぶ
5/29(火) 11:43配信 日刊スポーツ


 ヒット曲「あなた」などで知られる歌手の小坂明子(61)が、不慮の事故で24日に亡くなった長男でロックバンドGRAND FAMILY ORCHESTRAのベーシスト千葉龍太郎さん(享年30)の思い出をつづった。

 小坂は29日、「思ふこと」のタイトルでブログを更新*4。「親の七光りで売れるなんて最低だから、絶対に俺のことに触れないで。新世界リチウムでデビューした時、龍太郎からそう言われた。そんなヤツだった。人を愛して笑わせて爆発して幸せにしてもいつも自分は孤独で淋しい。そんなミュージシャンだった」と、亡き愛息の人柄をしのんだ。

 同じミュージシャンとして活動する息子について「わかり過ぎるぐらいお互いがわかっていたし 好きなメロディーやコードも一緒だったから、ついつい朝まで話しこむ事も多かったなあ。ライブから帰ってクタクタでも歌ってて、作曲してて、アイツはまさに音楽バカだったと思う」と小坂。「23年続けて来たファミリーキャンプ、もう行けないし クリスマスの特製ミネストローネスープも今年は辞めよう。太一と3人2ワン家族になっちゃったけど、がんばろ。がんばろ」と悲しみをにじませ、「なんて、余計なこと書くなよって怒ってるかな。いいじゃん一回ぐらい思うこと書いても」と息子に呼びかけるようにつづった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180529-00223355-nksports-ent&pos=1

さて、「いか八朗」という名前を見たときに、30年以上前に死んだたこ八郎*5が何故今頃? とおもってしまったのだった。
スポニチ』の記事;

タレント・いか八朗さん死去 84歳 「テルマエ・ロマエ」で銭湯の老人役
5/30(水) 12:00配信 スポニチアネックス


 映画「テルマエ・ロマエ」にも出演したタレント、いか八朗(いか・はちろう、本名近藤角吾=こんどう・かくご)さん*6が28日午前10時3分、老衰のため死去した。84歳。高知県出身。所属事務所「Eja9(いいじゃナイン)」の公式サイトで発表された。

 いか八朗さんは芸人として劇場で活躍した後、俳優に転身。多くの映画、テレビドラマ、舞台に出演し、2012年公開の映画「テルマエ・ロマエ」では“銭湯にいる老人”役を演じ、印象的な演技で話題となった。

 所属する「Eja9」のサイトでは、事務所代表の山田大策氏が「『かわいいおじいちゃん。』と皆様が可愛がってくださった、愛してくださった いか八朗(本名 近藤 角吾)5月28日(月)10時3分に息をひきとり、 天国のテルマエに旅立ちました」と訃報を報告し、「眠っているような安らかなお顔で 呼吸と心臓が止まっていたそうです。きっと天国のテルマエ(温泉)に浸かって ヘイヘイホー♪ とニコニコ歌っていたのかもしれません」と伝えた。

 通夜は6月2日午後6時、お別れ会は同3日正午から、いずれも東京都練馬区小竹町1の61の1、江古田斎場で。喪主は山田大策(やまだ・だいさく)氏。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180530-00000102-spnannex-ent

『デイリースポーツ』の記事;

いか八朗さん死去 愛された人柄…草なぎに「頑張って売れろよ」
5/30(水) 16:29配信 デイリースポーツ


 映画「テルマエ・ロマエ」シリーズに入浴中の老人役で出演していた俳優のいか八朗(いか・はちろう=本名近藤角吾=こんどう・かくご)さんが28日午前10時3分、関東近郊の病院で老衰のため亡くなった。84歳。所属事務所「Eja9(いいじゃナイン)」の代表・山田大策氏(38)によると、いかさんは今年4月上旬に肺炎を患い入院していた。山田氏は5月22日にいかさんが病院を移る際に同行したが、会話はもうできなかった。家族はおらず、ひっそりと亡くなったという。

 昨年8月ごろに映画祭用の自主映画に出演したのが最後の仕事。当時は「まだまだやれるぞ」と話していたという。一般向けでは、今年の「沖縄国際映画祭」で上映された、女優の石橋静河ブラックマヨネーズ小杉竜一らが出演する「空からの花火」が最後の作品となった。花火職人のおじいちゃん役だった。

 「テルマエ−」以外には、16年に「いい部屋ネット」のCMに出演し、桜井日奈子(21)や鈴木福(13)と共にダンスを披露。13年のフジテレビ系ドラマ「独身貴族」に出演した際には、主演の草なぎ剛(43)に「頑張って売れろよ」と語りかけ、現場で爆笑を誘ったこともあったという。「役者は売れなきゃ意味が無い」が口ぐせで、若い俳優の面倒見が良く、周囲からは愛された存在だった。

 通夜は6月2日、午後6時、お別れ会は同3日正午から、ともに東京都練馬区小竹町1−61−1の江古田斎場(唯心堂)で営まれる。喪主は山田氏が務める。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180530-00000085-dal-ent

「いか八朗という芸名は、プロボクサーでコメディアンのたこ八郎さんに名付けてもらったもの」*7。なお、『テルマエ・ロマエ』は未見。

T-shirt shirt

“The Balenciaga T-shirt shirt that has the internet baffled” http://www.bbc.com/news/newsbeat-44288722
Arwa Mahdawi “Holy shirt: Balenciaga is selling a 'T-shirt shirt' for $1,290” https://www.theguardian.com/fashion/2018/may/29/balenciaga-shirt-t-shirt-cost-ikea-bag-tote-crocs
Satoko Yasuda*1「Tシャツ付きシャツって何?しかも16万円。バレンシアガの新作がツッコミどころ満載」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/29/tshirts-shirts_a_23446418/


これはとにかく笑える*2。昨年IKEAのエコ・バッグみたいなバッグ*3を売り出したのもバレンシアガだったか*4
そういえば、先月だったか、地下鉄の中で地下足袋(のようなもの)を履いている若い女性がいて、よく目を凝らしてみると、BALENCIAGAというロゴが読み取れた。地下足袋風のスキニーなショート・ブーツ。足袋風のランニング・シューズというと、『陸王』だったっけ? 『陸王』からぱくったのかどうかは知らず。

「次女」

木村拓哉*1工藤静香の次女Koki*2がモデルとしてデビューしたことについて。


安藤健二「キムタクの娘がモデルデビュー。木村拓哉工藤静香の次女“コウキ”「両親が私の誇りです」」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/27/koki-model_a_23444777/
AbemaTimes「木村拓哉工藤静香「どっちに似てる?」と話題に。次女“コウキ”がモデルデビュー」https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/koki-model-debut_a_23445516/
徳重辰典*3「キムタク次女は「生まれながらの覇王色」モデルで作曲家で四か国語話せて身長170センチ」https://www.buzzfeed.com/jp/tatsunoritokushige/koki
木村拓哉娘Koki,撮影の操上氏「才能がある」」http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01805293265.html



最後に挙げたのは、写真を撮影した操上和美へのインタヴュー記事。
デビューでいきなり『ELLE』*4の表紙というのは凄いことなのだろう。

当時も読めなかった

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180525/1527217215に対して、


白クマ 2018/05/26 22:45

横井英樹」はともかく、「花登筺」をフリガナなしで読める人も少なくなってしまったでしょうね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180525/1527217215#c1527342357

小学生の当時、ハナトコバコなんて念めなかったですよ。あと、当時、何て念めばいいのか頭を捻ったのは「寺田農」でした*1花登筺といえば、一時「銭の花」という植物が実在すると信じていたということがあります。

「除名」

承前*1

ハフポスト日本版編集部「日大アメフト部危険タックル問題、内田前監督と井上前コーチは除名処分に。関東学生連盟の理事会」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/29/nichidaiamefutobukikentakkurumondai-uchidazenkantokutoinouezenkochiwajomeishobunni-kantogakuseirenmeinorijikai_a_23445589/


URL(ファイル名)長すぎ! というのはともかくとして、


日本大学アメリカンフットボール部の選手による危険タックルの問題を調査していた関東学生連盟は5月29日夜、会見を開き、日大の内田正人・前監督と井上奨・前コーチの2人を「除名」処分とすることを発表した。総会の承認をへて正式に決定する。処罰規定の中で、最も重い処分となり、今後は学生への指導などは事実上不可能となる。

森琢ヘッドコーチは除名に次いで重い「資格剥奪・登録抹消」、危険タックルをした選手とチームは「2018年度シーズンの公式試合への出場停止」処分。ただし、該当選手が反省文を提出後に面談したり、チームが再発防止策を実行したりして手続きを踏んだ場合には、それぞれ出場資格停止が解除されることになった。

See also
関根和弘「危険タックル、内田正人前監督の主張は「不自然」として除名処分に。絶対権力者ぶりを連盟が認定」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/29/press-conference-kantoh-college-football-association_a_23445820/

『木田元の最終講義』

数日前に木田元*1木田元の最終講義 反哲学としての哲学』を読了。


最終講義 ハイデガーを読む
最終講演 哲学と文学 エルンスト・マッハをめぐって
最終講義・補説 『存在と時間』をめぐる思想史


あとがき
文庫版あとがき
解説(村岡晋一)
木田元略歴

ハイデガーを読む」は中央大学文学部における最終講義。ここでは先ず、木田先生の生涯の主要な関心がフッサールでもメルロ=ポンティでもなくハイデガーであったことが宣言される。曰く、

私が東北大学に入って哲学の勉強を始めたのが一九五〇年ですから、そこから数えるとざっと五〇年、中央大学に就職したのが一九六〇年ですから、そこから数えるとざっと四〇年、この間なにをしてきたかと申しますと、その答えは実に簡単で、終始ハイデガー(一八八九〜一九七六)を読みつづけてきたと言っていいかと思います。
(略)むろんその間にほかの哲学者の本もずいぶん読みましたし、翻訳などはほかの哲学者のものばかりやってきましたが、それでもやはりいまだにハイデガーがいちばん面白いと思っていますから、ハイデガーを読みつづけてきたという言い方で、自分のこれまでやってきたことを要約してよいと思います。(pp.10-11)
これを読んでショックを感じた人も少なくないのでは? 勿論私は後期の木田先生の思考や文章にそれなりに親しんできたので納得できるが、やはり若い頃は、木田先生といえば、岩波新書の『現象学』の著者であり、フッサールの『危機』の訳者だったのだ。
現象学 (岩波新書 青版 C-11)

現象学 (岩波新書 青版 C-11)

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学

さて、この講義の中心はハイデガーの『存在と時間*2。実は『存在と時間』は最初に構想された「全体の三分の一しか書かれていない未完成品」である(p.31)。それだけでなく、「欠陥商品」或いは「失敗作」であるともいえる(p.33)。ハイデガーは『存在と時間』の後半部執筆を放棄し、1927年夏学期に「『存在と時間』全体のやりなおしとか思え」ない『現象学の根本問題』という講義を行っているが(p.34)、「この講義もやはり三分の一ほどで中断してしま」っている(p.35)。

どうやらハイデガーが最初に発想し、本当に書きたかったのは、『存在と時間』で言うなら、第二部の西洋哲学史の見なおしの部分で、第一部第三篇は、その歴史的考察のための方法的視座の獲得に当てられ、実際に書かれた第一部第一、二篇は、にわかに思いつかれた導入部らしいのです。ところが、かなり時務的な狙いもこめて書かれたこの導入部が、うまく第一部第三篇に話をつないでくれない。そこで書き継ぐのを断念した。しかし、第二部で書こうとしていた西洋哲学史の見直し作業の構想は依然として生きている。この企ては放棄されていない(後略)(pp.39-40)

(前略)「時間と存在」という表題が予定されていた第一部第三篇で、〈存在―生成〉〈存在―被制作性〉といったさまざまな存在概念に、それぞれ特有の時間的意味がふくまれていることを問題にし、いわゆる〈存在了解〉が現存在(人間)の時間性――人間がおのれ自身を時間として展開する仕方――が変わり、そこから異なった存在概念が形成される、ということを明らかにするはずでした。(後略)*3(p.56)

存在と時間』の当初の構想では、西洋文化形成の基底に据えられた〈存在――被制作性〉という存在概念、ないしはそれに由来する〈物質的自然観〉――自然を制作のための死せる材料としか見ない自然観――は、人間の非本来的な時間性――〈現在〉だけが優越する時間化の仕方――を場にしておこなわれる存在了解から生じたものだということが明らかにされるはずでした。その上でハイデガーは、人間を非本来性から本来性に立ち返らせることによって存在了解を変え、それとはまったく異なった〈存在―生成〉と見るような存在概念、そして、自然を生きて生成するものと見る自然観を復権し、文化形成の方向を転換しようと企てるつもりだったようです。(p.57)

(前略)彼は、〈存在――被制作性〉という存在概念や〈物質的自然観〉と、人間が存在者全体の〈基体=主体〉になろうとする人間主義とは連動していると考えていますから、彼の企ては、人間中心主義的な近代文化の克服という意味をもっていました。近代批判、近代主義批判がその眼目だったはずなのです。ところが彼は、これを、人間みずから自分自身の生き方を変え、存在了解を変えることによって果たそうと考えていたことになります。つまり、人間中心主義的世界の克服を人間が主導権をにぎって果たそう、近代主義の克服を近代主義の手法でやろうというのですから、そこには明らかに自家撞着があります。ハイデガー自身、やがてこのことに気づいたのでしょう。これが『存在と時間』を中断し、『現象学の根本問題』の講義を中断した理由だと思います。
ハイデガーは、こうした自家撞着の生じてきたのは〈存在了解〉という考え方によると見たようです。つまり、人間がその生き方を変えることによって、〈ある〉ということについての了解を自由に変えることができると考えたのが間違いだと気づいたのです。一九三〇年代のどの時点でかははっきりしませんが、彼は〈存在了解〉という概念を捨て、〈存在の生起〉という概念を採用することになります。彼は『形而上学入門』(一九三五年)という講義の全集版の付録の一節で「存在了解から存在の生起へ!」というモットーを掲げていますが*4、これが彼の前期から後期へのいわゆる〈思索の転回〉の指標なのだと思います。その転回は、けっして〈前期―実存思想〉から〈後期―存在思想〉への転回なんかではありません。それは、人間が存在というものをに対してもつ関係についての変更なのです。しかし、そこでも、〈存在と時間〉という視点から西洋哲学史、いやさらには西洋文化形成の歴史を見なおそうという作業は一貫して継続されているのです。ハイデガーの眼は終始、この西洋文化形成の歴史において、〈哲学〉と呼ばれる特異な知の果たした役割に向けられています。(pp.58-59)
存在と時間 下 (岩波文庫 青 651-3)

存在と時間 下 (岩波文庫 青 651-3)

中央大学人文科学研究所の最終講演「哲学と文学 エルンスト・マッハをめぐって」は、エルンスト・マッハ*5をひとつの磁場とした19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパにおける哲学と文学の交錯を素描する試み。最後の方から引用すると、

ヴァレリーニーチェに深い共感を示していたことはよく知られています。となると、世紀転換期にマッハとニーチェを一つの焦点にして、アヴェナリウス、フッサール、ホーフマンスタール、ムージルヴァレリー、さらにはアインシュタインとその親友のフリードリッヒ・アードラー、レーニントロツキー、それにボグダーノフやルナチャルスキー、バザーロフ、ヴァレンチーノフといったロシア・マッハ主義者たち、エーレンフェルス、マイノングの率いる〈グラーツ学派〉、ベルリン大学のシェトゥムプフと、その教え子のヴェルトハイマー、コフカ、ケーラーといった〈ベルリン学派〉の心理学者たち、ウィトゲンシュタイン、っそいてシェリックをとりまく〈ウィーン学団〉の人たち……、こういった哲学者や文学者が複雑に交錯しあいながら形づくる広大な知的空間が開かれていたことになります。(pp.119-120)
「『存在と時間』をめぐる思想史」は『存在と時間』出現の歴史的背景についての小論。ハイデガーの「ナチス」問題にも言及される。関連する文献としては、先ずジョージ・スタイナーの『ハイデガー』。また、脇圭平『知識人と政治』が言及されている。
ハイデガー (同時代ライブラリー)

ハイデガー (同時代ライブラリー)

知識人と政治――ドイツ・一九一四?一九三三 (岩波新書)

知識人と政治――ドイツ・一九一四?一九三三 (岩波新書)

*1:See eg. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%94%B0%E5%85%83 Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061107/1162865739 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070530/1180549562 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090630/1246337552 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090731/1249061946 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261049929 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101105/1288980247 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140614/1402765013 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140618/1403024445 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141107/1415288740 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180206/1517893783 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180304/1520142007

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060108/1136730298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070218/1171809771 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091116/1258370011 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091130/1259594080 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091212/1260644088 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091223/1261595612 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100110/1263146695 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110111/1294728582 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110120/1295514427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110731/1312133286 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130523/1369282829 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141107/1415288740 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170906/1504668432 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170921/1505965976 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180417/1523932744

*3:cf.木田元ハイデガーの思想』

ハイデガーの思想 (岩波新書)

ハイデガーの思想 (岩波新書)

*4:平凡社版には「付録」は収録されていない。「付録」については、川原栄峰「改訂版(平凡社ライブライリー版)訳者あとがき」、pp.420-421も参照されたい。

形而上学入門 (平凡社ライブラリー)

形而上学入門 (平凡社ライブラリー)

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261049929