コービンとかシュミットとか

Ed Cumming “Brian Eno: ‘I don’t get much of a thrill out of spending money’“ http://www.theguardian.com/lifeandstyle/2016/mar/26/brian-eno-i-dont-get-much-of-a-thrill-out-of-spending-money


ブライアン・イーノ*1へのインタヴュー。幾つか切り取っておく。
労働党の新しい党首Jeremy Corbynを巡って;


Jeremy Corbyn is the most interesting thing on the British horizon. It’s like Octavio Paz said: communism may have been the wrong answer, but it wasn’t the wrong question. I like that Corbyn is asking questions that have been out of the discourse since the late 70s: what do we do about gross, and growing, inequality?
セックスとドラッグとロックンロールと宗教を繋ぐ鍵言葉はsurrender*2である;

Sex, drugs, rock’n’roll, dancing: all the things we like doing are about surrender. Religion is the formalised social version of that. I love gospel music for that reason, but I’ve never liked the idea of adherence to a “book” or the idea that there is “truth”.
1980年に他界したアーティスト、ピーター・シュミット*3について;

The artist Peter Schmidt was the person I addressed all my thoughts to, my mental frame of reference. In 1980 he died of a heart attack. He was 49, I was 30. He was out walking in the sun in the Canary Islands and miscalculated. That was a big moment. I realised I had to explain things to people who I couldn’t assume understood what I was thinking.
ピーター・シュミットとイーノはOblique Strategiesを共作しているのだった*4。また、イーノのアルバム、『科学前後(Before and After Science)』でもシュミットの絵が使用されている。
ビフォア・アンド・アフター・サイエンス(紙ジャケット仕様)

ビフォア・アンド・アフター・サイエンス(紙ジャケット仕様)

“Exit”

Adam Gabbatt “Edward Snowden releases techno song with Jean-Michel Jarre” http://www.theguardian.com/music/2016/apr/28/edward-snowden-jean-michel-jarre-song-exit


あのエドワード・スノーデン*1ジャン・ミシェル・ジャール*2と組んで、歌手デビュー。曲名は「出口」*3

感染始末

承前*1

少しは事件の輪郭がくっきりしてきた。
朝日新聞』の記事;


渋谷署員19人、結核に集団感染 容疑者から感染か

2016年4月11日23時14分

 警視庁渋谷署の警察官19人が、署内で結核に集団感染していたことが分かった。詐欺容疑で留置した60代の男が昨年2月に肺結核で死亡しており、この男から署員に広がった可能性があるという。

 同署によると、詐欺の疑いで現行犯逮捕した60代の男が昨年2月11日、肺結核で死亡。昨年12月になって留置場を担当していた署員が結核に感染して発症したため、同署は、男から感染した可能性があるとみてほかの署員も調べたところ、さらに18人が結核に感染していたことが分かった。大半は留置場や刑事事件として男を担当した署員だった。19人のうち6人が発症し、3人が入院していた。すでに退院し、現在は自宅で療養中という。

 署幹部は「留置人が結核に感染していると早期にわかっていれば隔離するなど対応は取れたかもしれない。再発防止と原因究明に努めたい」としている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4C7CXTJ4CUTIL057.html


渋谷署の結核感染は24人 8人が発病

2016年4月28日13時07分

 警視庁渋谷署の署員らが結核に集団感染した問題で、警視庁は28日、感染者は24人で、そのうち8人が発病したと発表した。詐欺容疑で逮捕後、渋谷署に留置された63歳の男性から広がったとみられるという。

 同庁健康管理本部によると、感染元とみられる男性が留置された昨年1月下旬以降の20日間に接触した職員107人の健康診断をした結果、26日現在、渋谷署員20人と、男性が死亡した後の解剖に立ち会った本富士署員ら4人の計24人が感染していた。このうち、渋谷署員7人、警視庁刑事部鑑識課員1人の計8人が発病したという。

 発病した8人のうち、渋谷署員3人は、結核菌を体外に排出(排菌)して二次感染の恐れがあると判断された。3人は治療のため入院し、2人は退院したという。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4X45WZJ4XUTIL010.html

「感染」事件が起こったのは昨年2月だったわけだ。
これらの記事で言及されているのは「逮捕」後のことであり、それ以前のことには言及されていないが、この「詐欺容疑」の男は数年間に亙って、自らが動く周囲の環境に結核菌を「排出」していたわけだ。こいつは「詐欺」の「現行犯」でぱくられたわけで、そのとき被害者もその場にいた可能性が高い。その人は「感染」しなかったのだろうか。

「読む」「書く」(若松英輔)

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

若松英輔『生きる哲学』*1の終章「書く 井筒俊彦と「生きる哲学」」から。


本があり、時間があればそれを読むことができる、というのは表層的な事実に過ぎない。文字を追うことと「読む」ことはまったく異なる経験である。「読む」ということが本当の経験になるためには書物を読むときにも「光」を必要とする。それは書物を照らす物理的な光線とはまったく違う、私たちの内から湧き上がる内なる光である。
美の経験においても同じである。岡倉天心はそれを英語で書いた『茶の本』で、inner light(内なる光)あるいはspiritual light(霊光)とすら呼んだ。
人間は内なる光によって照らされた、二度と繰り返すことのない叡知との邂逅、それをさまざまなコトバによって世界に定着させようとしてきた。それが「書く」ことなのである。
このとき、「書く」とは、コトバを語ることではなく、むしろ、コトバが自ら顕われ出る、その通路と化すことになる。また、「読む」とは、言葉を超えて、その奥にあるコトバに出会うことになる。
ここで考えているのは、専門的、研究的に「読み」、「書く」人々のことではない。むしろ、市井の人間における「読む」ことと「書くこと」の可能性である。(pp.263-264)

ここで「読む」とは、記された文字を情報として取り込むことではない。コトバを媒介として、書いた者と対話することである。さらにいえば、新しいテクストを「創造」することである。
書かれた言葉は、読まれることによってコトバとなる。たとえばここにドストエフスキー(一八二一〜一八八一)の『罪と罰』がある。この本が真に小説としてよみがえるのは、真摯な読者によって読まれたときである。そのコトバはすでに作者であるドストエフスキーの経験を超えている。小説は、読まれることで変貌してゆく。小さな種子から樹木が育つように姿を変じてゆく。
「書く」とは、コトバを通じて未知なる自己と出会うことである。「書く」ことに困難を感じる人は、この本のなかで引用されている先人のコトバを書き写すだけでもよい。もし、数行の言葉を本当に引き写したなら、その人は、意識しないうちに文章を書き始めているだろう。そして、こんなコトバが自分に宿っていたのかと、自分で書いた文章に驚くに違いない。自分の魂を、真に揺るがすコトバはいつも自分から発せられる。人は誰も、コトバという人生の護符と共にある。コトバは見出されるのを待っているのである。
よく書けるようになりたいなら、よく読むことだ。よく読めるようになりたければ、必死に書くしかない。よく読むとは多く読むことではない。むしろ、一節のコトバに存在の深みへの通路を見出すことである。
必死に書くとは、これが最後の一文だと思って書くことにほかならない。
たとえば、もうこの世では会えない人に、今日書いた言葉だけは届くに違いない、そう思って「書く」。本気でそう思えたら、文章は必ず変わる。心からそう感じることができれば「読む」態度も一変する。
「書く」とは、単なる自己表現の手段ではなく、永遠にふれようとする試みとなり、「読む」とは、それを書いた者と出会うことになるだろう。そこに見出すコトバは、時空を超えてやってきた、自分に送られた手紙であることを知るだろう。(pp.264-265)

「シンプルトン市長」というのもあった

承前*1

「ロック好きの熊本市長に、憧れの英バンド「XTC」からツイッターでエール」http://j-town.net/tokyo/news/localnews/224902.html?p=all


曰く、


地震の対応に追われ、声をからしながら復興を誓った姿が多くの人を惹きつけた大西一史熊本市*2。現在も復興のために昼夜を問わず働き、ツイッターでも活発に現状を報告している。そんな働きぶりに対して、日本全国から応援のメッセージがリプライで届いているのだが、その中には、海外のとあるロックバンドからのエールが混ざっていた*3
XTC*4のファンだったんだ! そういえば、XTCには”Mayor of Simpleton”という曲もあった。
Oranges & Lemons

Oranges & Lemons

セビリアでコイン

Agence France-Presse “Massive 600kg haul of ancient Roman coins unearthed in Spain” https://www.theguardian.com/science/2016/apr/29/massive-haul-ancient-roman-coins-unearthed-spain


西班牙のセビリア*1近くのTomares*2で水道工事に従事していた労働者が3世紀後半から4世紀前半頃のものと推定される羅馬帝国の銅貨600kg分を発見した。コインは「一種の壷」であるアンフォラ*319個に入っていた。羅馬は紀元前218年にイベリア半島を征服し、紀元5世紀初頭に西ゴート族*4によって叩き出されるまでその支配は続いた*5
さて、昨年11月には瑞西で、羅馬帝国のコイン(銅貨と銀貨)が4166枚(15kg)が発掘されているのだった;


Agence France-Presse “4,000 coins found in Roman treasure trove in Swiss orchard” http://www.theguardian.com/world/2015/nov/19/roman-treasure-found-in-swiss-orchard-exceeds-4000-coins