オンラインで母乳?

Matthew Weaver “Buying human breast milk online poses serious health risk, say experts” http://www.theguardian.com/lifeandstyle/2015/mar/24/buying-human-breast-milk-online-health-risk


英米ではネット上での母乳の販売が盛んになっているのだという。倫敦大学医学・歯学部のSarah Steele博士*1らは、British Medical Journalの論説において、ネット上での母乳取引を野放しにしておけば重大な公衆衛生上のリスクを惹起する危険があり、何らかの規制が必要であると主張している*2


Lead author Dr Sarah Steele said she feared that babies would die from unscreened milk sold online if the market was not regulated. In one of the studies she cited, more than 90% of breast milk purchased online was found to have bacterial growth. Some of the sellers interviewed included intravenous drug users.

Unregulated websites selling breast milk attract tens of thousand of users in the US, the research found. One site reported growing by 800 users each month. It also reported an emerging market in the UK on specialist sites as well as general retail sites including Gumtree and Craigslist. Premium prices of up $4 (£2.70) per fluid ounce (30ml) are offered by mothers who purport to eat only organic or vegan food, or can boast having “fat, chubby babies”, the researchers found.

The online market caters primarily for mothers who are unable to breastfeed their babies, serving as a cheaper alternative to regulated milk banks, where the milk is always pasteurised. But consumers also include cancer patients who believe breast milk has health benefits and gym enthusiasts who believe breast milk is a natural superfood. A third group of adult consumers are fetishists “who like to be fed like a baby, either from source or from a bottle”, according to Steele.

バクテリア繁殖に関しては、牛乳や粉ミルクでも食品衛生上の規制は存在するわけだから、それ並みの規制は必要だということになるか。
それにしても、他人の母乳の需要が伸びているということに驚いた。「もらい乳」という風習の衰退について、松田道雄『定本 育児の百科(上)』*3では、次のように書かれていた;

もらい乳は、日本に古くからあった風習である。母乳の与えられない赤ちゃんには、牛乳のなかった時代、かわるものとしては米の粉からつくったおもゆしかなかった。動物性のタンパクもなく、ビタミンもない営養では、赤ちゃんは育たなかった。母親以外の乳のでる人からもらえば、よくそだつことがわかって、もらい乳の風習ができた。裕福な家では乳母をやとった。子供を産んでから3年くらいはどの母親も乳をのませていたから、ゆたかでない家の母親あ自分の子どもを人にたのんで、乳のでない母の家に移り住んで終日つききりで乳をのませることができた。敗戦の前までは職業として乳母というものがあった。乳母をやとえない家では、近所で乳のよくでる人に日に何回かもらい乳をした。
エイズという病気が、授乳で感染することから、いまはもらい乳は「厳禁」になった。
産院で乳のよくでる母親のあまった乳を集めて母乳バンクをつくって、未熟児にのませていたが、いまは中止している。エイズのウイルスを殺す低温殺菌は同時に母乳のなかの脂肪をこなれやすくする酵素の活性もうばうので、赤ちゃんに下痢をおこさせるからである。(pp.208-209)
定本 育児の百科〈上〉5カ月まで (岩波文庫)

定本 育児の百科〈上〉5カ月まで (岩波文庫)

それから、母乳を求めるのは、乳の出がよくない母親のほかに、癌患者、ボディビルダー、そしてフェティシスト。フェチ野郎はともかくとして、癌患者やボディビルダーが母乳を求めているということも知らなかった。所謂民間療法ということになるのだろうけど、これは英米に限られたことなのだろうか、それとも日本でも薬やサプリとして癌患者やボディビルダーが母乳を求めるということはあるのだろうか。
See also


“Mothers warned of dangers of online breast milk market” http://blog.cosmosmagazine.com/blog/2015/3/24/mothers-warned-of-dangers-of-online-breast-milk-market
Sarah Knapton “Black market in human breast milk puts babies at risk, say doctors” http://www.telegraph.co.uk/news/health/news/11492795/Black-market-in-human-breast-milk-puts-babies-at-risk-say-doctors.html

証拠薄弱

Uki Goñi “'Nazi hideout' in the jungle: why the discovery is more fiction than fact” http://www.theguardian.com/world/2015/mar/23/nazi-hideout-south-america-jungle


パラグアイ国境に近いアルヘンティナ北部のジャングルでナチス高官隠れ家の廃墟が発見されたという報道*1に水を指すような指摘。
問題の廃墟は「新たに発見された」のではなく、長らく公に曝されていた。「ナチ廃墟」の一帯には17世紀に遡る夥しいイエズス会修道院の廃墟群があり、メジャーな観光スポットでもあった;


But the truth is a little more mundane. For a start, the dilapidated buildings were not recently “discovered” – they have actually been open to the public for decades, along with other ruins which date back to the 17th and 18th century settlements established by Jesuit missionaries – and which give the region its name. Not far from the “Nazi” site are the remains of San Ignacio Miní, a Baroque monastery which is one of the area’s most-visited tourist attractions.

At least 10 years ago, the local tourist board erected a sign on the path to the Teyú Cuaré site, saying that the ruins were originally part of a Jesuit site.

さらに〈ナチ伝説〉も既に観光のためのネタになっていた;

Below that, the sign makes the astounding claim: “In the 1950s they were refurbished and inhabitated by Hitler’s most faithful servant, Martin Bormann*2.”

The idea that Hitler’s deputy somehow escaped to Argentina is an integral part of the Nazis-in-South-America myth, and a key element of Ira Levin’s*3 novel The Boys from Brazil and the 1978 movie of the same name.

The Bormann story is based on files sold by Argentinian police officers to Hungarian historian Ladislas Farago*4 in the 1970s, but those files are widely held to be fakes. In 1998, DNA tests showed that bones recovered in Berlin were Bormann’s, confirming reports that Hitler’s secretary had been killed while fleeing the bunker on 2 May 1945*5 .


ナチス隠れ家跡発見の主要な証拠とされている独逸硬貨も、そもそもアルヘンティナには独逸系住民も多いので驚くにはあたらないという;

And the discovery of second world war-era German coins in Misiones seems less surprising when you consider that Argentina has long been a destination for European immigrants, and that the country’s population includes about 3 million people of German descent.

One of the largest and oldest German communities is in the northern province of Misiones, founded by a large influx of German immigrants who arrived in the early 20th century.

勿論アルヘンティナのペロン政権は数多のナチス残党を温かく迎え入れたが、彼らは「ジャングル」ではなくブエノスアイレス郊外に住んでいた;

Argentina did, of course, give refuge to some of the worst Nazi criminals, including Auschwitz doctor Josef Mengele and Adolf Eichmann, one of the main architects of the Holocaust.

Thousands of former SS officers and former Nazi party members were welcomed with open arms by Argentina’s then-president Juan Perón, who sent secret missions to Europe to rescue them from Allied justice between 1945 and 1950.

But they settled in comfortable suburban homes outside Buenos Aires, like the cozy chalet Eichmann lived in with his family at 4261 Chacabuco Street in the middle-class northern suburb of Olivos, where many other Nazi officers also settled.

Not in the steamy, damp, pre-Amazon jungles of northern Argentina.

Uki Goñi氏には、The Real Odessa: Smuggling the Nazis to Perón’s Argentinaという著書があるという。

さて、プロト・ファシストというべきだろうが、〈ニーチェナチスに売った女〉であるフリードリッヒの妹、エリーザベト・フェルスター=ニーチェは、〈純粋なゲルマン人社会〉を作らんと、(アルヘンティナの隣国)パラグアイに渡ったことがあるのだった。

何時から学者になったのか

「“良いフェミニスト”とは“死んだフェミニスト”のこと」http://d.hatena.ne.jp/inumash/20150323/p1 *1


学者でなければ「フェミニスト」とはいえないという主張をする人がいるようだ。話の発端は、


「ネトフェミだったら何なの?」http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150323/1427073197


という記事に対するKoshianX*2のブクマ・コメント;


フェミニストを名乗る割に財政苦しい日本女性学会の会員になってるようでもそこに論文書いてるようでもない人たちを「ネトフェミ」と呼んでます http://togetter.com/li/688408

http://b.hatena.ne.jp/entry/245327714/comment/KoshianX

さらに、

id:KoshianXさんの「フェミニスト」の定義が意味不明すぎてすごい。その定義だと女性参政権運動家も女子労働の運動家も芸術家もフェミニストにならない。「内村鑑三は教会に行かないからクリスチャンじゃない」みたいな

http://b.hatena.ne.jp/entry/245327714/comment/saebou


まったくその通り。運動家は「左翼活動家」と呼べばいいんですよ。研究をしない人を女性学者を意味する言葉で呼ぶこと自体が誤り。エセ科学と同列です id:saebou/リンクあるんだけどこっちにも http://togetter.com/li/688408

http://b.hatena.ne.jp/entry/245357025/comment/KoshianX

それで、KoshianXの「“フェミニスト=女性学者を意味する言葉”というのはid:aliliputさん*3はてなやってるみたいなのでコールしてみた)の受け売り」であるという。aliliput=liliput曰く、

@hyodoshinji わたしの元々の発言の主旨は、フェミニズムの研究者でない人間をフェミニストと呼ぶのは定義上不適切であるし、また社会的な身分が研究者であってもアカデミックな方法で議論ができない人間はフェミニストとして扱うに値しないというものです。

2014-07-04 13:18:00 via Hootsuite to @hyodoshinji
http://twitter.com/liliput/status/484913993673629696


@hyodoshinji そのご意見には割と同意ですね。フェミニズムは我が国においてその大きな役割を終えておりますし、後は政策決定の時などに政府に協力したり研究成果を出版したりするなどのごく一般的な学問的説明責任を果たすにとどめ、"啓蒙"などもうやめたがいいと思います。

2014-07-04 13:27:24 via Hootsuite to @hyodoshinji
http://twitter.com/liliput/status/484916361832173568

inumash氏曰く、

とりあえずざっと調べてみた限りでは“フェミニスト=女性学者を意味する言葉”というのはただの“俺定義”のようです。id:KoshianXさんはその“俺定義”に基づいてフェミニストを“本物のフェミニスト”と“偽者のフェミニスト”に分類し、偽者の方を『ネトフェミ』という蔑称で呼んでいるわけですね。で、「表に出てきてるのはだいたい偽物=『ネトフェミ』だ」と。

少し前に、公的・歴史的・学術的な定義を無視した“俺定義”で「アイヌ民族は存在しない」とぶち上げて炎上した(正確には“今もしている”)地方議員がいましたが*4、その方の姿が思い浮かびます。

声高に権利を主張することなく体制に従順な姿勢を見せるマイノリティ(例:日系アメリカ人)を“模範的マイノリティ(モデル・マイノリティ)”と呼ぶことがありますが、この概念は社会運動に積極的に参加し現体制への不満を述べるほかのマイノリティ(例:アフリカ系アメリカ人)を抑圧する道具としても使われてきました。上で語られている“本物のフェミニスト”と“偽者のフェミニスト”という分類はまさにその類型です。

フェミニズムは女性が権利を求める運動の中で生まれ、育ち、広まっていきました。学問としてのみ発展していったものではありません。いまなお偏見や抑圧に苦しむ女性が少なくない中でフェミニストに「社会運動を行うな。政治に出てくるな」と言うのは(少なくとも“フェミニストとしては”)「死ね」と言っているのと同じです。

従って、id:KoshianXさんとid:aliliputさんの分類をそのまま受け取るのであれば“良いフェミニスト”とは“死んだフェミニスト”のことになるわけです。

現代においてもこのようなことを臆面もなく言えてしまうのは、お二人の主張に反して“まだまだ啓蒙が必要な証拠”なのではないかと思う次第です。

最近の事例で言えば、同性愛者差別は事件はないのだから「同性パートナーシップ条例」は要らないと主張する赤池誠章を思い出したりもする*5
フェミニズムについて補足的にいえば、(これは正確な実証が要請されているのではあるけど)1960年代以前には「フェミニズム」という言葉は(少なくとも現在のような意味では)なかったように思える。勿論〈婦人運動〉*6というようなものはあったけれど。というか、、所謂左翼的な環境の中では、婦人運動にせよ何にせよ社会運動というのは、髭のユダヤ系独逸人や禿の露西亜人に信者になって〈教団=党〉の統制に服従することによって、その正当性を獲得できたということがあったわけだ。1960年代後半の知的・政治的地殻変動によって、〈教団=党〉から独立した社会運動が簇生してきた。フェミニズムもそのうちのひとつだといえる*7。だから、ハードコアな左翼の中にはそのようなフェミニズムなんか認めないぞという人もいまだにいるわけだ*8。敷衍すれば、婦人運動とかは社会主義運動(共産主義運動)に包摂された仕方で、その枠組の内部においてのみ存在すべきであって、社会主義共産主義)を無視した仕方で〈主義〉が存在するのはけしからんということになるのだろう。左翼の多くは、少なくとも表面的にはこういう頑固爺ではなくて、もっと物わかりがよくなってはいる。しかし、それがフェミニズムとの真摯な対話=対決を経たものなのかどうかは限りなくあやしいのだ。
学問におけるフェミニズムだが、それはオリエンタリズム批判とパラレルな現象であると考えることができるだろう。鍵言葉は脱中心化(decentering)。西洋中心主義的な視座が脱中心化されるのとパラレルに男性中心主義的な視座が脱中心化される。学問もひとつの社会システムであり文化の一部であるということはいうまでもない。また、少なくとも文系の学問の場合、その存立基盤は日常経験の、精緻化・形式化を伴う、観察対象への変容にある。フェミニズムが社会生活における男性中心主義を批判・脱中心化する運動だとすれば、その批判・脱中心化の矛先が精緻化・形式化された社会生活の観察たる学問へと向かうのは理の当然といえるかも知れない。だから、学問におけるフェミニズムフェミニズムの拡張ではあっても、それを独占するものではないといえるだろう。
社会運動か学問かといえば、エコロジー。そもそもは生物学の一分野を指す言葉だったが(生態学)、何時の間にか環境保護思想(運動)、環境保護を意識したライフ・スタイルを意味するようになり、さらに「エコ」と短くなって、世間に拡散してしまった。この転換は何時頃起こったのか。私の記憶だと、1970年代後半には既にそうだったように思える。(仏蘭西の本だけど)ドミニク・シモネ『エコロジー』で論じられているのは既に環境保護思想(運動)としての「エコロジー」である。1972年に柳田為正によって訳出されたシアーズの『エコロジー入門』は生物学としての「エコロジー」入門書であるけど、そこに動態的定常状態というエコロジカルな〈ユートピア〉が提示されていたということは憶えている。
エコロジー―人間の回復をめざして

エコロジー―人間の回復をめざして