物語の欠如

四国新聞』の記事;


勝負事の聖地に 住民が登山道整備/詫間・博智山

2011/01/25 09:30


 香川県三豊市詫間町須田地区の住民有志が、地区内にある博智(ばくち)山の登山道をボランティアで整備している。入山することができないほど荒れ果てている現状に、地域住民が一念発起。23日には、約30人が登山道の一部を階段状に整備したほか、見晴らしの良い場所にベンチを設置した。住民有志はユニークな山の名前にちなみ、勝負事の聖地として定着させる計画を練っており、地域住民らがにぎわい創出に向け期待感を込めて見守っている。

 荘内半島東部にある博智山は標高237メートル。山頂からは旧詫間町のほか、瀬戸内海の美しい景観が一望できる。30年ほど前までは子どもの遊び場として人の出入りがあったが、松くい虫の影響で松が倒れるなどして登山道が荒れ、入山することができなくなった。山の名の由来は定かではないという。

 昨年4月、簡単に入山できていた当時を知る住民が自治会で登山道の整備を提案。賛同した約40人で博智山登山道整備実行委員会をつくり、地権者らと協議を進めてきた。

 山道整備は昨年末に1度行い、道を覆っていた草木を撤去。2回目のこの日は、電動のこぎりを手にしたメンバーが廃木を切り倒したほか、登りやすいように山道の一部を階段状にし、頂上までの道中には約10個のベンチや案内板を設置した。

 地域のにぎわい創出に向けたアイデアでは、山の名前を生かし、登山道の坂に「招運坂」「勝運坂」と縁起のよい名前を付け、看板を設置。今後も知恵を絞り、聖地の定着に向けて山の魅力発信を計画している。

 同実行委の横山正行会長(62)は「地元の山を楽しむとともに、幸運を招く山として多くの人に訪れてほしい」と意気込んでいる。
http://news.shikoku-np.co.jp/kagawa/locality/201101/20110124000239.htm

決定的・致命的な勘違いがあると思う。ここに欠如しているのは物語だ。「博智山」に登ったら競馬の大穴を当てたとか。偏差値30台なのに東大に合格したとか。最近話題の「パワースポット」*1も含めて、「聖地」の存立には霊験記が必要なのだ。というか、吉であれ凶であれ、(合理的な説明が困難な)特異な出来事というのが先ず存在し、その原因を説明するために〈超自然〉的なものが召喚される。つまり、「博智山」というのは結果なき原因なのだ。「横山正行会長」に提案したいのは1億円借金して澳門ラスヴェガスに行って、ルーレットに注ぎ込むこと。そうすれば、物語が生まれる。まあ地元の環境を整備するということはそれ自体としていいことなのだけれど、「にぎわい創出」というような欲を出したのが悪い癖という感じか。

夢の続き見られず

Darren AronofskyのBlack Swanを観てから、横になってBelle and SebastianWrite About Love*1をブックレットの歌詞に目を遣りながら聴いているうちに寝付いてしまった。そして、夢を見た。夢は3つの場面からなっていた。何処の国かは知らないけれど、泥道で国際的なラリー大会が行われており、途中車が泥沼に埋まってしまうということがあったけれど、英国ティームが優勝した。また、日本の某地方都市の住宅街に隠れ処的な飲み屋があって、私が某哲学者(実在の、そして面識がある)と向かい合って酒を飲んでいた。日本の農村部のかなり大きなお屋敷で宴会が行われていたが(何のための宴会なのかは忘れた)、宴が始まる前に奇妙な儀礼というかパフォーマンスが行われていた。座敷には



という字のかたちに卓が配列されていたが、そのまわりを全裸の男たちが膝を曲げて中腰になりながら、お囃子に合わせて行進していくのだった。その先頭は、陰茎が萎えた金髪の西洋人の男だった。それを見た瞬間に目覚めてしまった。目覚めてからも、これら3つの場面の関連がわからないぞという思いが頭を占領していた。そして、夢の続きを見ようと思ったが、目と頭が冴えてしまって、全然眠ることができない。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』*2を昨日読了してしまったので、津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』を読み始める。それでもますます目が冴えてしまい、92頁辺りまで読んで、このぶんだと読了するまで眠れないなと思い、本を閉じて、起き上がって、冷蔵庫から缶麦酒を出して、アルコールを無理矢理身体に流し込んで、やっと寝付く。勿論、夢の続きを見ることができなかった。さらにもう一度目覚めて二度寝したのだけれど、その時も夢の続きを見ることは叶わなかった。

Write About Love

Write About Love

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

天才に遇わず

http://anond.hatelabo.jp/20110120022852


「才能の潰れ方」というタイトルに惹かれて読んだのだが、退屈な文章だった。これに700以上のブクマがついているというのはこれ如何に?


これはちょっと自慢ですが、僕はある分野でかつて神童と謳われてた事がありまして。今は凡人ですが。へへ。

 で、僕はその過去の栄光のおかげで、特別才能のある子供達の英才教育現場に従事してきたのだけれども、そこで天才と呼ばれる彼らを見続けて、彼らが(そして思い返せば僕も)必ずと言って良いほど通過する心理的な難所に気がついたので書いておくことにします。ほんとに単純なことだけど。

 彼らは成長の過程でまず、自分の中の万能感を認め、飼い慣らさなければならない。それまでの小さなコミュニティでは自分の優位性を再認識し、その存在を確立する手助けをしていた万能感が、渡航や進学で大きなステージに出たとたんに鈍重な重荷になる。万能感の根拠が相対的なものでしかなかったことに気がつくわけですね。

 ある種の天才児達はここを乗り越えることが出来ない。万能感を適切な形に処理できないまま現在の自分とのギャップに苦しんで潰れてしまう。天才人生終了。

 そしてその万能感を乗り越えると、今度はその反動で無力感が襲ってくる。いままでなぜか自信満々だったけど俺ってゴミじゃね?って思えてきてしまう。それでうじうじ考えて自己否定の論理を組み立て始めるんだけど、実際に周りにもっと凄い天才達がいるわけだからその論理が決して破綻してない。的を射てる。そうなってしまうともうダメ。内向的・後ろ向きになることで才能の推進力が止まってしまう。

 思うに「天才性」ってのがあるとすると、それは現在の彼の状態ではなくて、天才なりの将来へ彼を進めていく推進力とか爆発力みたいなものも含めての「天才性」なわけです。上記のような状態の時に上手く制御された万能感をもう一回持ち出してきて自信を回復していけない子は、ここで天才人生が終了。

 もちろんレアケースはあるに決まってるけど、この2つの次期を上手く乗り越えた子はほぼ例外なく才能を活かして大成してる。

先ずこいつは「天才」に遭遇したことがないか、或いは遭遇したことを忘却しているのだろう。「天才」が何か生物種や鉱物種のように客観的に存在するかのように考えているようだ。そうではないだろう。天才というのは、例えば、剣の達人が敵と立ち会った瞬間にその場の空気からただ者ではないな感じ取ってしまうという仕方で、或いは例えばゴダールの映画を観てしまったりケイト・ブッシュの歌声を聴いてしまったりしたときに不意討ち的に得体の知れない衝撃が走るという仕方で感じ取られるしかないわけだ。外在的な品評の対象になるものなどは「天才」でも何でもない。
但し、「天才」という言葉を外して考えれば、この人は間違ったことを言っているわけではない。ここで書かれていることは、例えば禁欲的に受験勉強に精進したおかげで一流大学に合格してしまった三流高校出身の秀才なら誰でも経験している筈だ。でも、それを「天才」云々というのはかなり大袈裟だろう。また、学者にせよアーティストにせよデザイナーにせよ、クリエイティヴであることを義務付けられている人は、常にここで書かれているような「万能感」と「無力感」の間を綱渡りするかのように生きている筈だ。但し、これは「天才」かどうかという問題ではなく、いわば〈職業病〉、〈労働災害〉に属する問題ではあろう。

昆虫学者としてのナボコフ

CARL ZIMMER “Nabokov Butterfly Theory Is Vindicated” http://www.nytimes.com/2011/02/01/science/01butterfly.html


『ロリータ』や『青白い炎』で知られる作家ウラディミール・ナボコフ*1は実は昆虫学者、特に蝶の研究家でもあり、1940年代にはハーヴァード大学比較動物学博物館の鱗翅目(lepidoptera)担当の学藝員を務め、米国全土で昆虫を採集していた。ナボコフは特にPolyommatus bluesと呼ばれる一群の蝶に興味を持ち、主にその生殖器の差異の観察に基づき、Polyommatus bluesが亜細亜に端を発し、数百万年かけて、ベーリング海峡からアメリカ大陸に渡りさらに段々と南下し、新大陸最南端のチリに行き着いたという仮説を提示した論文を1945年に発表した。生物学の世界で彼の仮説はずっと忘れ去られたままだったが、1990年代以降、ナボコフの仮説を再検討し・実証しようとする動きが出てきた。最近、ハーヴァードのNaomi Pierceらは、遺伝子分析を使って、Polyommatus bluesの旧大陸から新大陸への移住に関するナボコフの仮説がほぼ正しいことを実証した。
記事では彼と「蝶」との関わりを以下のように記している;


Nabokov inherited his passion for butterflies from his parents. When his father was imprisoned by the Russian authorities for his political activities, the 8-year-old Vladimir brought a butterfly to his cell as a gift. As a teenager, Nabokov went on butterfly-hunting expeditions and carefully described the specimens he caught, imitating the scientific journals he read in his spare time. Had it not been for the Russian Revolution, which forced his family into exile in 1919, Nabokov said that he might have become a full-time lepidopterist.

In his European exile, Nabokov visited butterfly collections in museums. He used the proceeds of his second novel, “King, Queen, Knave,” to finance an expedition to the Pyrenees, where he and his wife, Vera, netted over a hundred species. The rise of the Nazis drove Nabokov into exile once more in 1941, this time to the United States. It was there that Nabokov found his greatest fame as a novelist. It was also there that he delved deepest into the science of butterflies.

Nabokov spent much of the 1940s dissecting a confusing group of species called Polyommatus blues. He developed forward thinking ways to classify the butterflies based on differences in their genitalia. He argued that what were thought to be closely related species were actually only distantly related.

At the end of a 1945 paper on the group, he mused on how they had evolved. He speculated that they originated in Asia, moved over the Bering Strait, and moved south all the way to Chile.