火曜日、東画廊*1にて黄凌の『退色的記憶』を観る。黄凌の絵は昨年、やはり東画廊で観たことがあるが*2、そのときとは全く印象が異なる。去年の淡くて微細な感じとは異なり、今回展示された絵を特徴付けるのは、「退色的記憶」というタイトルとは裏腹に、暴力的とも言える色の横溢。勿論、「その構図の特異さ」は変わらないが。
Untitled
承前*1
「玻南」問題について。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20091101-OYT1T01018.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/good2nd/20091103/1257210744
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/good2nd/20091103/1257210744
「人間が子どもを生むこと、育てることに、国家権力が踏み込み、その基本の判断を決めるという思考」*2に対しては、古森義久氏にガツンと言ってもらう必要がある。
この親に対するバッシングからは数か月前のよしもとばななバッシング*3を連想した。
補足的メモ(レヴィ=ストロースなど)
承前*1
レヴィ=ストロースといえばやはり小田亮氏で、追悼のエントリーが書かれている;
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628
その中心は(レヴィ=ストロースの)構造主義が「歴史や人間の創意を軽視したものだとか、人間を構造の檻に閉じ込めるものだとか言われた」ことに対する反論。そこから、「構造」と「体系」の違い、「構造」と「変換」について書かれた部分をちょっと引用してみる;
詳しくは、氏の『レヴィ=ストロース入門』第2章を参照されたし。
その「構造」という概念を理解するうえで重要なのが「変換」というアイディアである。レヴィ=ストロースのいう「構造」は、同じく要素と要素間の関係からなる体系(システム)とも違っている。体系は変換が可能ではなく、体系に手が加わるとばらばらになってしまうけれども、構造は、要素や要素間の関係が変換して別の体系に変化していっても、なお変わらない何かを指している。変換によって現われた新たな体系ともとの体系のあいだの関係が構造だといってもいい。つまり、構造は、変換を通じてはじめて現れる。別の変換をすればまた別の構造が出現するのである。それには始まりも終わりもない。このような構造という概念をみれば、構造主義が人間を構造の檻に閉じ込めたという言説が意味をなさないものだということがわかる。むしろ、レヴィ=ストロースは、変化しながら多様性を生成する構造の「連なりの場」へと人間を解き放ってくれたといったと言ったほうがいい。
そして、この構造という見方からすれば、人間の創造力は「連なりの場」にあるものとしてとらえられる。「連なり」から切り離された個人の能動性に重きをおく西洋近代の価値観とは違って、それは、他人から与えられたものに、その他人の意図とは別の新たな様相を与えていくような創造性である。レヴィ=ストロースは、そのような人間の創造性を分析する手立てを、現在翻訳が刊行中の『神話論理』全4巻として遺してくれた。
- 作者: 小田亮
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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銭学森*2の死亡記事@NYT;
MICHAEL WINES “Qian Xuesen, Father of China’s Space Program, Is Dead at 98” http://www.nytimes.com/2009/11/04/world/asia/04qian.html
銭学森の米国時代の業績、マッカーシズムによる迫害(追放されるかたちでの中国への帰国)に詳しい。
ボブ・マーリーなど
CDを3枚買う。
先ずはボブ・マーリーのベスト盤(Bob Marley & the Wailers Legend)。”No Woman No Cry”も”I Shot the Sheriff”も”Get Up Stand Up”も入っているぜ。それから、A Fine Frenzy Bomb In A Bridcage。知らなかったけれど、ジャケ買い。また、蔡健雅(Tanya Chua)の『若_你碰到_他』*1。彼女はシンガポール人のシンガー・ソングライター。
Legend-Best of Bob Marley & the Wailers
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- アーティスト: A Fine Frenzy
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本を1冊。
顧明棟『原創的焦慮――語言、文学、文化研究的多元途径』南京大学出版社、2009
李澤厚先生も指摘しているが、タイトルの『原創的焦慮』はハロルド・ブルームのAnxiety of Influence(影響的焦慮)を意識したもの。
序(李澤厚)
前言
第一部分 文化理論篇
普世之“一”――中西研究的共同概念性基礎
後理論時代対理論的抵抗及範式構成
対中西比較研究中一些文化理論問題的思考
第二部分 語言理論篇
重新審視語言的鴻溝――中西文字符号理論的比較
《周易》明象:現代語言哲学與詮釈学的古代洞見
文学的語言学基礎――一個心理語言学的探索
第四部分 精神分析批評篇
孝順情結――中国文化語境中的俄狄浦斯*2
郁達夫的《沈淪》――中国一個被流放的俄狄浦斯
張愛玲的《金鎖記》――自我異化與性別政治的研究
第五部分 後結構主義批評篇
理念的悖論與悖論的詩学――《金瓶梅》的意識形態及其形式
欲望織成的錦緞――《金瓶梅》和古代評点中的編織詩学
《紅楼夢》是一部開放性小説――兼論“紅学”研究的範式
長音など
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091101/1257048962に対してコメントを頂く;
どうも。たしかに、羅馬字の場合、長音表記がネックですよね。
sonic 2009/11/01 20:18
こんにちは、私は岩手県民なので先人に敬意を表して田中館愛橘式で綴ることが多いですよ。でも長音のサーカムフレックスをタイプ出来ないんですよねぇ。これが辛い。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091101/1257048962#c1257074325
それから、古寺多見さんにこの記事を引用していただく;
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091101/1257052490
古寺多見さんの疑問はあの城内実の、あのhttp://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/*1のbakawashinanakyanaoranaiの中のbakawaの是非。これに対して、
というコメントあり。「国語学」が専門の方? 「また助詞の「は」はwaと書くのがローマ字としては正解でしょう」。私もそう思う。但し、訓令式を公的に規定した昭和29年12月9日内閣告示第1号「ローマ字のつづり方」(角川書店編『新しい常用漢字の書き表し方』、1981、pp.193-192に収録)には助詞の「は」や「へ」については特に言及がありません。ヘボン式は訓令式よりも表音主義が徹底しているので、やはり助詞の「は」はhaじゃなくてwaになると思います。
s-ryoo*2 2009/11/03 08:32
本多勝一氏の主張については良く知りませんが、私はローマ字は日本式が良いと思っています。
ローマ字は音声記号なのか音韻記号なのかという問題があり、日本式は音韻記号という立場で一貫していますが、ヘボン式は音声記号的表記と音韻記号的表記が混在していて一貫性が有りません。また助詞の「は」はwaと書くのがローマ字としては正解でしょう。
ローマ字の綴りで一番混乱しているのが長音の表記で、大野→ohnoのような変な表記が氾濫してますね。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091101/1257052490#c1257204760
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ち/てぃ
し/すぃ
つ/とぅ
を区別できないというのは欠点だとは思う。訓令式は外来語への配慮を欠いている。また、訓令式にしてもヘボン式にしても、方言への配慮はないわけですが。ヘボン式ではNとMの区別をし、例えば新庄はShinjo、新橋はShimbashiと書くわけですが、多くの日本人は〈ん〉はbやpの前ではmと発音するという日本語の特性の1つを、ヘボン式を習うことによって、国語の時間ではなく英語の時間に知ることになる。
訓令式とヘボン式の関係ですが、上で挙げた昭和29年12月9日内閣告示第1号には「第1表」のほかに「第2表」があり、ヘボン式その他の綴りが載っています。「まえがき」には「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第2表に掲げたつづり方によってもさしつかえない」とあります。
また長音。「ローマ字の綴りで一番混乱しているのが長音の表記で、大野→ohnoのような変な表記が氾濫してますね」。hで以て長音を表すのは独逸語の影響。