「どうして写真が残っていない? 昭和初期の金沢八景」『なぎさ』(no株式会社)645、p.9、2024
景勝地であるにも拘らず戦前期の金沢八景の写真は殆ど残っていない。
神奈川県立金沢文庫*1学芸員の山地純さんによれば、「大変な時代にあって、その景色を残そうとした人物がいた」。
(前略)「軍機保護法」「要塞地帯法」。軍の機密が漏れることを防ぐ法律で、追浜に横須賀海軍航空隊の訓練航空隊や海軍航空技術廠ができ、金沢も法律の適用地域となった。この法律こそが、金沢エリアの昭和初期の写真がまったく見当たらない原因だ。(後略)
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(前略)『金澤百景』など金沢エリアのスケッチを描いた小学校教諭、角田武夫だ。海軍施設ができ様変わりする故郷金沢を憂い、自ら絵筆をとった。彼はその都度、横須賀鎮守府の許可を得て、各地で絵を描き続けたのだ。
「平成29年に金沢文庫で開かれた特別展『金沢百景――角田武夫が描いた失われた風景』展には教え子が大勢来場し、先生を、そして当時の金沢の風景を懐かしんでいました。こうした資料は地元の人々にとって大切な歴史資料であり、財産だと思います」
金澤伊丹氏歴史郷土財団「『金沢百景』(角田家所蔵)のご紹介」https://itaminorekishi.com/2021/07/17/kanazawahistory-2/
山地純「角田武夫の生涯」https://www.townnews.co.jp/0110/2016/03/31/326137.html
山地純「角田武夫の生きた時代」https://www.townnews.co.jp/0110/2016/04/07/327188.html
柏崎幸三「金沢百景〜角田武夫が描いた失われた風景〜」https://www.sankei.com/article/20160410-BXRAJOEG4BI2BC4Y4POS5JU5WA/