2005年8月にも仙台で地震が起きた

安田聡子「「お礼をしたい」14年前に仙台駅で僕を助けてくれた、片腕のJR職員さんを探しています」https://www.huffingtonpost.jp/entry/2005-sendai-station-lifesaver_jp_5d2d53aae4b085eda5a0ba3e


曰く、


アメリカ・ハーバード大学で教鞭をとる経済学者のジャッド・クレイマーさん*1は、14年前の2005年に旅行先の宮城県仙台市で大きな地震に遭遇して横浜に戻れなくなった。  

その時に宿泊費を払って彼をホステルに泊め、帰りの新幹線に乗せてくれたJR職員がいた。  

当時は日本語がわからず、きちんとお礼を伝えられなかったクレイマーさん。会って感謝を伝えたいと、その時の恩人を探している。


「あの頃は、日本語でどうやって感謝を表したらいいのか、わかりませんでした。日本語を勉強した今なら、日本のやり方でお礼が言えます。でもあの時は、きちんとお礼を伝えられないまま横浜に帰ってしまいました」

「もし会えたら、お礼をして、あの時にどれだけ助けられたかを伝えたい。そして、日本の人たちにとても親切にしてもらったことがきっかけで日本語を学ぶようになったことや、経済学者として日本発のビジネスに参画していることをご報告できたら嬉しいです」

2019年7月、クレイマーさんは出張で再来日した。来日してすぐに、JR東日本に問い合わせ、当時の経緯を説明して人を探していることを伝えた。しかし、個人情報保護の観点から有益な情報は得られなかった。

なんの手がかりもないまま、帰国日が迫る焦燥感にかられて、クレイマーさんは仙台駅を再訪することを決意した。

本人に会えなくても当時を知る人がいるのでは……と期待してクレイマーさんは7月9日、14年振りに仙台駅に降り立った。駅長や職員たちに話を聞いたが、残念ながらそのJR職員のことを知る人はいなかった。

果たして、「片腕」の恩人と再会できるのかどうか。
ところで、その後に起こった311の衝撃の強さ故に半ば忘れられてしまっているかも知れないけど、私は2005年8月の地震について、けっこう鮮明に憶えている。当時、

8月16日、午後に限りなく近い午前中に地震震源地は宮城県沖。千葉では震度4だったようだが、とにかく〈揺れが長かった〉というのが実感。仙台では、屋内プールの天井が落下したほかは、家屋倒壊とか火災といった被害はなかったようだ。ただ、宮城から福島・栃木を飛び越した埼玉県加須市で1件家屋が倒壊したのは不可解。
と書いている*2