ディラン・ファンたち

「実際(少なくとも私にとっては)所謂「団塊の世代」に対する敬意の多くは文化的なものだ」と書いたのだけど*1、馬世芳「那一夜、我在日本現場」(in 『昨日書』*2、pp.106-115)から少しメモ。
馬氏は1997年にボブ・ディランの日本ツアーに参戦した。そのとき、日本のボブ・ディラン・ファンと知り合った。そのうちのひとり、「洋子」という主婦と、翌98年に母親と行った東京ドーム(「東京巨蛋」)でのU2のライヴで再開した際の話;


(前略)洋子是五十多歳的主婦、説是洗碗、打掃的時候大声放迪倫唱片、做家事特別起動。她邀我們去家裡吃炸串、並且帯我們参観她的”迪倫房間”:四壁排満了迪倫的CD、好幾個架子是按年份排列的演唱会実況bootleg、中間像神龕的位置挂着一個墜子*3。仔細一看、那是一枚Fender Medium Pick(吉他弾片)、縫在両片亜克力*4護貝*5之間、簡直像博物館的出土古文物。洋子阿姨説、去年福岡、迪倫唱完安可、pick順手一扔、她在第一排中央接個正着。這東西在台北的楽器行一枚只要十元、但在洋子阿心目中、却比甚麼紅宝石、祖母緑*6都珍貴。(pp.111-112)
今は既に70代か。
やはり 『昨日書』に収録された「我那群日本楽迷朋友」というテクストでも*7、馬氏は「洋子」を含む日本のボブ・ディラン・ファンに言及している。「薬学博士」の「新木」、新木の高校時代からの友達で日経新聞記者の「岩本」とか。その中でも興味深いのは、馬氏が1997年にネットで最初に知り合った日本のディラン・ファンである「加藤」という人。彼は翻訳家として多くのミュージシャンの伝記やメモワールを翻訳し、評論家としても活動しているが、本職は予備校の英語講師であるという(p.125)。