「日大」イメージ

キャリコネ編集部「日大、学生に「大学のイメージ下げる行動は慎んで」と通達 現役学生は「イメージ下げているのは大学。むしろ学生に謝罪して」と憤慨」https://news.careerconnection.jp/?p=54430


日大アメフト部「悪質タックル」事件*1の余波。
事件後、日大当局は学生に対して「日大のイメージを下げるような行動は慎め」という主旨の通知を出しているという。具体的には、「歩道で広がって歩いたり、信号を無視したりしてキャンパス近隣の住民に迷惑を掛けないように」ということらしい。まあ「近隣の住民」からのこういうクレームは日常的にあって、「迷惑を掛けないように」という通知も日常的に行われているものなんじゃないかとは思うのだが。大学というところは。さらに、マス・メディアの取材を受けないようにという箝口令も敷かれているという。「大学側がイメージを下げるようなことをして学生に迷惑を掛けているわけですから、まずは大学から学生に謝ってほしいと多くの学生が思っていますよ」というのは、その通りだと思う。
さて、そもそも「日大」については統一的・整合的なイメージを構成することが難しかったということがある。何故か知らないけれど、日本大学ってどんな大学ですかと尋ねられたことが何度かある。私はといえば、日大の近所に長年住んでいたということはあるけれど、日大の学生だったことも日大で教えたことも全くないのだ。尋ねられる度に、まあ所謂量産型大学でしょうかねというくらいしかできなかったのだ。「日大」のイメージが思い浮かばないというのは、日大のあり方に関係している。大学のイメージを決める要素として、勿論福沢諭吉新島襄大隈重信といった創設者、大学の内外に認められた独特の学統が重要であるということは言うまでもない。ただ、最もわかりやすくて決定的な要素は風景だろう。学内の風景だけでなく、大学を取り巻く周囲の本屋やカフェや食堂などを含む街の風景。東京には、例えば早稲田大学青山学院大大学、成城大学といった街の名前を関した大学がある。これらの大学のイメージは、中の人にとっても外の人にとっても、それぞれ早稲田、青山、成城という土地と切り離すことはできない。ほかにも、東大といえば駒場と本郷、慶應といえば三田と日吉、東洋といえば白山、成蹊といえば吉祥寺*2……ということになる。だから、他方で、同じ大学といえどもその同じ風景を共有しない部分への拒否反応は強いともいえるのでは? 早稲田は所沢にもキャンパスがあるけれど、早稲田の学生さんに、あの所沢体育大学のことですか? といわれたことは何度かある。慶應についても、三田や日吉の人から、SFC慶應として認めないという気持ちを感じたことは何度かある。日大は、学部毎に独立したキャンパスが東日本の各地に散在している。これでは、日大としての統一したイメージを結ぶことはできない。多分、それは私のような余所者だけじゃなくて、日大の先生方や学生さんも同じなんじゃないかと思う。その人たちが「日大」だと思っているイメージというのは要するに自分が通っている学部のイメージでしかないのでは? 江古田の藝術学部とか、神田三崎町のの経済学部とか、習志野生産工学部とか。多分、殆どの学生さんの交友関係は自分の学部内に限定されるんじゃないか。今回の件に絡んで、内田正人前監督や学長が記者会見をやった日本大学本部というのは市ヶ谷駅の近くに目立たない仕方で建っているのだが、その本部に行ったことのある学生さんは(多分)殆どいないのでは?  そうなると、〈想像の共同体〉としての「日大」はどのようにして実感されているのかという疑問もわくのだが、そもそも統一的なイメージが湧きにくい「日大」にとって、今回の危機は普通の大学以上にダメージが大きいかも知れない。各地のキャンパス(学部)の風景とは全く切り離された「日大」という字がメディアで反復され続けているからだ。まあ、部外者のお気楽な感想として言えば、世間からの白い目を日大関係者が内面化して、さらに大学当局への怒りやアメフト選手への同情などが合わさることによって、日本大学という想像の共同体(或いは日大というアイデンティティ)は新たに構築されることになるんじゃないかとも思う。