ふりかけの話

環境問題と被害者運動 (現代社会研究叢書)

環境問題と被害者運動 (現代社会研究叢書)

東京都江東区の日本化学工業*1小松川工場による六価クロム汚染問題*2について、飯島伸子『環境問題と被害者運動』(学文社1984)からメモ;


重クロム酸塩は、第一次大戦時に、兵器や機械類の硬質クロムメッキ、軍服のカーキ色の染料、爆薬原料などとして大量に需要があった。しかも、欧州からの輸入が途絶していたことから、製造を一手に引き受けた日本精錬は、この時期に急成長することになる。第一次大戦後の不況を巧みに切り抜けて、日本精錬の東京・小松川南工場は昭和十二(一九三七)年には、クロム酸ソーダ・カリの生産量で世界第三位を占めるまでに至っている。
めざましい成長ぶりであるが、昭和十二年の時点で年間八千トンも製造されていたクロム酸は、生命に対してきわめて有害な作用を有する化学物質であった。すなわち、クロム酸と重クロム酸は、強い酸化性を有していて、皮膚や鼻、咽頭喉頭、気管、気管支、肺、胃、肝臓、腎臓、リンパ腺など全身の各部位に炎症や潰瘍、がんを発生させる作用を有するのである。
これほどに有害な作用のある製品が、同社小松川工場の想像を絶する劣悪な労働環境でつくられていた。労働者は、黄色のクロム粉と硫酸がたちこめて霧状になっている中で、高温のためにほとんど裸体に近い状態で重労働に従事していた。クロムは、皮膚に付着すると汗などの湿気で反応し、たちまち皮膚に食いこんで腐食させる作用を持つ物質であるから、皮膚をさらした労働は危険きわまりないものであった。しかし、場所によっては摂氏四〇度にもなる現場で作業服を着けているのは大変な苦行である。
しかも、労働者たちには、クロムがいかに有害な物質であるかは、一切、知らされていなかった。それどころか、クロム粉は身体に良い、とさえ教えられていたのである。労働者たちは、弁当の上に降ってくるクロムの粉を、くすりであると信じて食物と一緒に口に運んでいた。
その結果、クロム製造工場の労働者は、ほとんど例外なく鼻中隔に穴があき、長年勤務した労働者の多くはがんで死亡している。企業が急速に成長するかげで、労働条件や労働環境の整備は放置されており、企業を支えた労働者は、報酬どころか身体の損傷或は自らの死を受けとらされたのである。(後略)(pp.40-41)
「クロム粉は身体に良い」と教えた主体は明示されていない。それは日本化学工業という会社だろうか。