『思い出トランプ』など

思い出トランプ (新潮文庫)

思い出トランプ (新潮文庫)

向田邦子*1の『思い出トランプ』を数日前に読了した。


かわうそ
だらだら坂
はめ殺し窓
三枚肉
マンハッタン
犬小屋
男眉
大根の月
りんごの皮
酸っぱい家族

花の名前
ダウト


向田さんの芸(水上勉

『思い出トランプ』というタイトルに惹かれて、この1980年から81年に書かれた13篇を集めた短篇集を読むと、ちょっとえらい目に遭うだろう。「思い出」とはいっても、ここに集められた短篇は、しみじみと甘いノスタルジーに浸るということとは無関係だからだ。たしかに、どれも「思い出」というか記憶を扱っている。しかし、どの記憶も積極的には想起したくないけど、不図蘇ってしまうような記憶である。最近の流行り言葉でいうと、それぞれの個人の〈黒歴史〉ということになるのだろうか。忘却されるという仕方で保持されていることによって人格が保たれている、そのような記憶。意識の前面に蘇ったら(ドラマとともに)動揺が生まれるだろうし、だからと言って、完全に抹消されたら人格の存立そのものが危うくなる。
ところで、21世紀にこの向田さんの短篇集を読むと、(甘いのか酸っぱいのか苦いのかは一様ではないだろうけど)ノスタルジーに充たされてしまうということも事実だ。行間から見えてくる風景は紛れもなく〈昭和〉*2の風景だ。登場人物の多くは東京近郊に住む、40代後半から50代の、階層でいうと中の上の人たち。1980年から遡ると、1950年代から60年代の前半くらいに結婚して家族を形成した人たち。まさに〈昭和〉(戦後)を生きて来た人たち。郊外に住むホワイトカラー労働者の夫と専業主婦と子どもたちというまさに昭和〉(戦後)的な家族。
さて、作曲家の船村徹*3が亡くなったという。船村氏も『思い出トランプ』な人たちと重なる〈昭和〉(戦後)的な作曲家だったといえるけど、郊外の中流小市民家庭と演歌*4とは裏表というか或る種の補完的関係にあったとはいえそうだ。
スポーツニッポン』の記事;

作曲家・船村徹氏が急死 「王将」など5000曲 歌謡界から初の文化勲章



 「別れの一本杉」「王将」など日本歌謡史に残る名曲を多数残し、昨年文化勲章を叙勲した作曲家の船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ふくだ・ひろお)さんが16日午後0時35分、心不全のため、神奈川県藤沢市内の病院で死去した。84歳。栃木県出身。通夜は22日午後6時から、葬儀・告別式は23日午前11時から、いずれも東京都文京区大塚5―40―1、護国寺で執り行う。喪主は長男で作曲家、編曲家の蔦将包(つた・まさかね)さん。

 昨年5月に心不全と診断され、心臓弁置換手術を受け、自宅で療養生活を送っていた。関係者によると、16日に自宅で過ごしていたところ容体が急変し、帰らぬ人となった。手術の影響で、毎年6月12日に行う恒例の「歌供養」を取りやめていたが、その後は回復を見せ、先月18日に都内で行われた文化勲章を祝う会でも、元気な姿を見せたばかりだった。

 1932年生まれ。東洋音楽学校(現東京音大)ピアノ科卒業。在学時に米軍キャンプでのバンド活動を経て作曲活動を開始した。53年に雑誌「平凡」のコンクールで1位入選し、作曲家デビュー。盟友の作詞家高野公男さんとのコンビで「大衆に根ざした音楽を作ろう」と、歌謡界に新たな曲調を持ち込んだ。村田英雄さんに提供した「王将」は、日本初のミリオンセラーになった曲といわれる。幅広い年代にわたり名曲を発表し続け、書き上げた作品は5000曲以上。83年に細川たかし矢切の渡し」、91年に北島三郎「北の大地」で日本レコード大賞を受賞。97年には日本作曲家協会の会長に就任。04年には日本音楽著作権協会JASRAC)会長を歴任した。昨年の文化勲章は、歌謡界から初めての受章となった。

 演歌界の大御所、北島三郎(80)をはじめ門下生も多数育成。鳥羽一郎(64)らをスターにした。

[ 2017年2月17日 11:04 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/17/kiji/20170217s00041000109000c.html

内藤洋子の「白馬のルンナ」も船村徹作曲だったか。