朝本浩文

『デイリースポーツ』の記事;


朝本浩文さん死去、53歳 14年自転車事故で意識不明…今年6月、一時心臓停止

デイリースポーツ 12/3(土) 19:47配信


 UAやSILVAなどを手がけた音楽プロデューサーの朝本浩文さんが11月30日に亡くなったことが3日、分かった。53歳。妻の由美さんが、朝本さんの療養生活を支援するプロジェクトの公式フェイスブックで報告した。朝本さんは2014年9月に自転車で転倒し、意識不明となっていた。葬儀は密葬で執り行われたという。

 由美さんは「去る11月30日、14時55分に朝本浩文は永眠いたしました。幸い私は最期を見届ける事が出来ました。事故から2年2ヶ月に及ぶ、長い療養生活でしたがとても安らかな旅立ちでした」と伝えた。

 そして、13年間夫婦として支えた夫について「良い時はお互いで大いに喜び、大変な事は二人で支えあって乗り越えてきた良き伴侶でした(中略)朝ちゃん、これからは安らかに。本当にありがとう!朝本浩文の美しい楽曲の数々が、彼の魂と共に生き続ける事を願っております」とつづった。

 朝本さんは14年9月11日午後10時40分ごろ、自転車で自宅に帰る途中、渋谷区の路上で転倒し、頭を強打した。由美さんは事故直後、フェイスブックで「タクシーが通り過ぎた後、飛ばされていまだ意識は回復しません」と当日の状況を詳細に明かし、目撃情報など情報提供を呼びかけていた。

 今年3月20日には一時、心臓が停止。心臓マッサージで一命を取り留めたものの、てんかんの症状が1〜2週間続くなど、生命の危機に陥った。6月9日に投稿したフェイスブックで由美さんは、「心臓が停止した間に受けた脳や体内のダメージにより、以前のように目で動くものを追ったり鍵盤を鳴らしたり、手を動かしたり足を伸ばしたりの反応は無くなってしまいました」と状況を伝えていた。

 「いつか何らかの形で意思疎通ができること」を望み、関東近郊の名医がいる回復期リハビリテーション病院を転院するなど、24時間体制で朝本さんを支えてきた由美さんだが、永遠の別れとなった。

 朝本さんはTHE YELLOW MONKEY「バラ色の日々」、THE BOOM「月さえも眠る夜」などの楽曲をプロデュースしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000083-dal-ent


朝本浩文さん死去 「呼吸するだけの体になったら…」と託すも、妻「できませんでした」

デイリースポーツ 12/3(土) 20:20配信


 UAやSILVAなどを手がけた音楽プロデューサーの朝本浩文さんが11月30日に亡くなったことが3日、分かった。53歳。朝本さんは2014年9月に自転車で転倒し、意識不明となっていた。葬儀は密葬で執り行われたという。妻の由美さんが朝本さんの療養生活を支援するプロジェクトの公式フェイスブックで報告した。

 由美さんは最期を見届けることができたことを明かし「事故から2年2ヶ月に及ぶ、長い療養生活でしたがとても安らかな旅立ちでした」と伝えた。

 朝本さんは14年9月11日午後10時40分ごろ、自宅に自転車で帰る途中、渋谷区の路上で転倒し左右の頭を強打。手足に麻痺が残り、意識不明となった。

 由美さんは3日に投稿したフェイスブックで「事故当日、私はなぜか心がざわつき、仕事で家を出る主人に、何度も自転車を置いて出かけるように、また何度も帰りは自転車を押して帰ってきてねとお願いし続けていたのに対し、彼は『解った』と言っておきながら、自転車に乗って帰ってきて事故にあったのでした」と事故当日のやりとりを振り返った。

 「全く私の言う事を聞いてくれなかった、手の焼けるとても頑固な九州男児でした」と、朝本さんとの出会い、交際を申し込まれても7年間断っていたことなど、あふれる思い出もつづった。

 結婚生活は13年。朝本さんとは年齢差があり、「何かがあった時にこうして欲しい」という願い事もいくつか託されていたことも告白。「その中には『呼吸をするだけの体になった時には喉の管を外して欲しい』というものもありました。その願いだけは……叶える事ができませんでしたが、この長い療養生活の間に私達は学び合い、お互いに一生懸命戦い抜き、悔いを一切残さず、別々に歩む事になりました」と、明かした。

 由美さんは「本当に、音楽には類まれなる才能があり、罪な男でしたが、彼はきっと日本の音楽神となると信じています。朝ちゃん、これからは安らかに。本当にありがとう!朝本浩文の美しい楽曲の数々が、彼の魂と共に生き続ける事を願っております」と哀悼した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000087-dal-ent

See also


「音楽プロデューサー・朝本浩文さん死去 53歳」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000312-oric-ent
泉谷由梨子「朝本浩文さん(音楽プロデューサー)死去、UAさんなど手掛ける」http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/03/asamoto-hirohumi_n_13388654.html


2014年の「交通事故」というのをそもそも存じ上げなかったのだった。このニュースを聞いて或る事件を思い出す。私の恩師であるH先生は深夜自転車でコンビニに行く途中で車に撥ねられたのだった。先生の場合は即死。享年は朝本さんとほぼ同じ。また、「交通事故」というと、多くの人が岡崎京子さんを思い出すだろうけど、岡崎さんに訪れた奇跡は訪れなかったわけだ*1UAのファースト・アルバム『11』をマークしておく。

11

11

「関連記事」ということで、作詞家の岡本おさみ*2がほぼ1年前に他界していたことを知った。

2015-12-17 21:57
作詞家・岡本おさみさんが死去 「旅の宿」「襟裳岬」など


拡大写真11月30日に心不全で亡くなった岡本おさみさん
 作詞家の岡本おさみさんが、11月30日に心不全のため死去した。73歳。葬儀は、岡本さんらしさを尊重したいという遺族の意向で、過日家族で執り行われた。

 岡本さんは作詞家として1968年「ふりかえらないで」でデビュー。吉田拓郎とコンビを組み「旅の宿」、日本レコード大賞受賞曲「襟裳岬」(森進一)、「黄金の花」(ネーネーズ)など数多くのヒット曲を世に送り出した。その後、作家としても「旅に唄あり」などを上梓。晩年にはミュージカル『泣きたくなったら笑うんだ』など舞台演出家としても活躍した。

 また、訃報に際し遺族で岡本さんの長男・くにひこさんからメッセージが寄せられた。

 「生前に父の執筆活動に力を貸してくださった方、作品を愛しんでいた方々、父に代わりましてこころより御礼申し上げます。岡本おさみの執筆はここで終わりを迎えましたが、彼が残した作品は永遠に生き続けます。引続き変わらぬ想いで作品と触れ合っていただければ幸いです。私たち家族は、静かに笑って日々が落ち着くのを待とうと思います」
http://www.oricon.co.jp/news/2064055/full/

コザ dabasa

コザ dabasa