高射砲?

Justin McCurry “North Korea defence chief reportedly executed with anti-aircraft gun” http://www.theguardian.com/world/2015/may/13/north-korean-defence-minister-executed-by-anti-aircaft-gun-report


北朝鮮人民武力部長、玄永哲が処刑されたという。金正恩の前で居眠りしたといった振る舞いが「不敬行動(disrespectful behaviour)」と認定されたのだという。まあ、ブラック企業、特に〈学習=洗脳型企業〉*1とでもいうべき組織とかで、カリスマ的経営者の講話を聞きながら欠伸とかをしたら、上司による指導という名の恫喝・パワハラ攻撃が待っているということも少なくないのでは? 金正恩の所行はこの延長線上において理解可能だ。また、何故玄永哲が殺されたのか、居眠りが死刑に値する罪なのかということを問うことは恐らく無意味だろう。意味があるのは、金正恩が玄永哲を殺したいと(どういうわけか)思ったということだけだ。理由なんか、何時でも捏造可能なことだ。玄永哲だけでなく、高官が次々と粛清されていることを以て、そこに北朝鮮の危機とか不安定性を読み込むこともあまり意味があるとは思えない。かつてスターリンによる粛清が最も凶暴化したのはトロツキーブハーリンも打倒されて、すなわちスターリンに張り合えるのは誰もいなくなった後だったということを思い出すべきだろう。危機だの反革命的陰謀だのが何時でも・幾らでもでっち上げ可能であるのだ。寧ろ、歴史上のその他の全体主義運動/.体制と同様に、金正恩も危機なり不安定性なりをその目的達成のための手段として活用していると考えるべきだろう。恣意的にもみえる高官殺しは信者ども、特に朝鮮労働党の幹部連にどのような効果をもたらすのか。それは、(社会心理学で謂うところの)locus of control喪失の感覚、世の中の事柄を自分が合理的にコントロールするのは不可能だという感覚ではないのか。自らが状況をコントロールできなければどうなるのかといえば、金正恩体制へのさらなる隷属だろう。しかし、これも北朝鮮特有のことではない。規模は小ぶりであるものの、このような相手の状況をコントロールする能力の剥奪による支配というのは、児童虐待でもDVでも見られることだ。金正恩の犯罪には今更誰も驚かない。驚いてしまうのは、その犯行手段の笑ってしまう程の大袈裟ぶりだろう。今回も玄永哲ひとりを殺すのに高射砲を使ったという。そのルックスと同様にこの軍事的な合理性も無視した暴挙には笑ってしまうしかない。勿論、信者どもをびびらせるという政治的な合理性はあるのかも知れないが。
さて、上の記事を読んで、張成沢の妻、金正日の妹、つまり正恩の叔母にあたる金敬姫が毒殺された可能性があることを知る*2張成沢が犬たちに食われてしまった*3というのはフィクションだったようだけど*4