バロック(According to Borges)

汚辱の世界史 (岩波文庫)

汚辱の世界史 (岩波文庫)

『恥辱の世界史』「一九五四年版 序」にて、ボルヘス先生*1曰く、


可能な手法を意識的にすべて使い果たし(あるいは使い果たそうとし)、その結果それ自体がほとんど一個のパロディと化す――そういう文体をわたしはバロックと規定しようと思う。(中略)世にいう「バロック」なるものは、さまざまな形態の三段論法のことである。十八世紀は、十七世紀の建築と絵画に見られるある種のゆきすぎにこの名称を冠した。わたしに言わせれば、手法を誇示し濫用するとき、あらゆる芸術はその最終段階においてバロックとなる。バロックは知的なスタイルである。バーナード・ショーは、すべての知的な営みは諧謔的なものであると言っている。こうした諧謔はバルタザル・グラシアン*2 の作品においては意識化されていないが、ジョン・ダン*3の作品では意図的に意識的なものである。(p.9)
ところで、一般的な意味で「バロック」と「マニエリスム」の区別というのはどうなるのだろうか。
バロック」という言葉は拙blogでは、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060101/1136124030 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070820/1187591132 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100203/1265213985 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101204/1291472573 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110128/1296226513 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111118/1321585251 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111129/1322529452 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111227/1324945966 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120418/1334687258に存在している。