「青文」と1980年代両岸三地文化(メモ)

梁文道「喧囂城市裏的孤独」(in 『読者』*1、pp.66-69)


香港湾仔の巴路士街にあった「青文」書店のオーナーであった羅志華が倉庫で在庫を整理中に崩れ落ちてきた本の下敷きとなって死亡したことが記されている。彼の死体が本の山の中から発見されたのはそれから10日以上経ってからのことであった(p.66)。
「青文」がオープンした1980年代の両岸三地の文化について記されている箇所をメモしておく;


我們的八十年代。那個時候大陸文化熱、金観濤*2的”走向未来”與甘陽*3的”文化:中国與世界”、両大叢刊書系不只衝撃了整片神州大地、也譲我們香港読書人看到了一絲希望。而台湾正是解厳前後、各種思潮風起雲涌、由下而上的社会運動方興未艾、民進党還是股青春的民主進歩力量;当年的台湾出版物記録了這一切、総是叫我們大開眼界。至於香港、新左余威猶在、”新文化人”與年軽的本土学人正吹着欧陸風、福柯*4、羅蘭・巴特*5、阿爾杜塞*6乃至於後現代主義一股脳地進占了主流報刊的専欄角落。”青文”是這三種勢力的匯流地、去”青文”和”曙光”*7打書釘、簡直是進歩知識分子的身份標識。後来的事、大家都知道。十年的内地新啓蒙運動終止於八十年代末、陳水扁的執政束縛了台湾的民間力量。香港? ”新文化人”都転行了、曽経是華文世界第一本福柯論作者的邵国華跑去開辦流行少年雑誌《Yes》。(p.67)
ここで言及されている「走向未来」も「文化:中国與世界」も海外の学術書翻訳だったが、1980年代中国の翻訳への熱意というのは史上稀に見るものだったといえるだろう。勿論、翻訳の質は別。費用を払わずして公共財を享受する者を意味するfree riderが「自由騎士」と訳されていたり。梁文道氏は、canon(経典)がcannon(大砲)と取り違えられ、さらにCannonになって、ゲーテは既に日本製カメラの一部となっているというような訳文になったシュールレアルな例を挙げている(「你知道蘇格拉底嗎?――《柏拉図全集》」、p.116)。