上海の結婚式と葬式(メモ)

上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)

上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)

先ず榎本泰子『上海』*1から、宋美齢*2蒋介石の結婚式についてメモ。


一九二七年一二月一日、蒋介石と美齢は西摩路(現在の陝西北路)にある宋家の屋敷でまずキリスト教による式を挙げたあと、会場をマジェスティック・ホテル(大華飯店)に移して盛大な結婚式を行なった。広大な庭園(マクベイン・ガーデン)に豪華な建築、大舞踏会場で知られた最高級ホテルである(現存せず)。
ホールには生花が敷き詰められ、壇上正面には孫文の肖像写真、左右には国民党党旗と国旗が掲げられている。アメリカ、フランス、日本などの領事や、アメリカ太平洋艦隊司令長官、国民党の要人や高級将校など、合わせて三〇〇〇人余りの来賓が詰めかけた。オーケストラの演奏が始まると、新郎新婦がそれぞれ介添え人に付き添われて入場した。美齢は銀色の旗袍(チャイナドレス)に白いベール姿で、オレンジ色の生花で作った冠をかぶっている。手には薄紅のカラナデシコの花束を持っていた。
二人はまず孫文の写真の前で深々と頭を下げ、両側の旗に向かってもお辞儀をした。教育界の指導者蔡元培*3が立会人を務め、誓いの言葉を読み上げた後、新郎新婦は向かい合ってお辞儀をし、来賓にも頭を下げた。再びオーケストラの演奏が始まり、アメリカ人のテノール歌手が賛美歌を独唱した。
この結婚式の様子は上海のマスコミに大々的に報じられ、世界に伝えられた。国の指導者となる人物が、衆人環視の中で結婚式を挙げたのは、中国の有史以来初めてだった。また天地や祖先への拝礼といった伝統的儀式がなく、党と国家の前で誓約を交わすという形式を取ったことや、オーケストラや賛美歌の演奏といった、西洋風の式次第も珍しかった。(p.238)
1930年代上海の大女優・阮玲玉の伝記、Richard J. Meyer Ruan Ling-Yu: The Goddess of Shanghai(Hong Kong University Press, 2005)*4に阮玲玉の葬列の写真あり(Photo 11)。彼女の棺を運ぶ霊柩車は〈宮型〉である。宮型の霊柩車というのは近代日本特有のものだと思っていたが、同時期の中国にもあったんだ。これは建築において、日本の〈帝冠様式〉と〈中華民国様式〉がパラレルであったこと*5に似るか。
Ruan Ling-Yu: The goddess of Shanghai

Ruan Ling-Yu: The goddess of Shanghai