「上海人が烏龍茶を普通に飲むようになったのは、多分1990年代にサントリー(三得利)がペットボトル入りの烏龍茶を売り出して以降」と書いたのだが*1。(少なくとも私の場合)1970年代後半にサントリーが罐入りの烏龍茶を出したのをきっかけに、突如として烏龍茶の存在を知ったという感じだ。しかし、大陸側の福建省と並ぶ烏龍茶の主要産地は台湾であり、台湾は1945年まで日本の殖民地であった。安藤更生『銀座細見』によれば、既に昭和初期には銀座に烏龍茶をウリにした台湾風喫茶店があった。だから、戦前の内地の日本人が烏龍茶を知らないわけはないのだが、戦後はどうなのか。戦後も、日本と台湾の間には活発な往来があった筈なのだ。しかし、戦後、1980年近くまで烏龍茶は半ば忘れられていた存在だった。これはどういうわけなのだろうか。或いは、中華街が近くにある横浜や神戸では事情が違っていたとか?

- 作者: 安藤更生
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1977/01
- メディア: 文庫
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