承前*1
三浦雅士「身体の優しさ−−ピナ、マース、マイケル」『intoxicate』81、pp.4-5
取り敢えず、以下の部分をメモ;
三浦氏の論への反証として、日本語と音楽の関係について述べた小倉朗『日本の耳』があるか。
現代音楽に欠けているのは旋律の研究である。そして旋律は、いうまでもなく、言語の抑揚、つまり語り話される各国語のその言葉の音楽にかかわっている。これは歴史的なものであって抽象化を拒むものなのだ。つまり、現代音楽に欠けているのは、国語の研究、各国語の研究なのである。たとえば、語尾母音の多いイタリア語がオペラに、語尾子音の多い英語がロックにふさわしいように聴こえるのは経験的な事実だが、それが音楽的に何を意味するのか、とりわけ音楽の歴史においてどのような意味を持つのか、音楽家はほとんど関心がないようだ。
だが、ピナの関心は疑いなくそういう問題、すなわち最終的には、言葉の優しさとしての旋律の問題へと集中していたのである。優しい言葉ではない。言葉そのものの持つ優しさ、つまり身体そのものが持つ優しさの問題へと集中していたのである。(p.5)
- 作者: 小倉朗
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1977/05/20
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