「放火」「炎上」

「放火」という言葉はhttp://blog.goo.ne.jp/ko-b/e/48ae3f360b57bcdf6f910c66dd6acee9から。

乙武洋匡氏の


2006.09.07
紀子さま出産

世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……




ひとつの命が誕生したことがめでたいの?




それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?



どちらにしても。


これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2006/09/post_f549.html

に対して、コメント数が1369。勿論、この中には乙武氏擁護のコメントも含まれるわけだが。その後、乙武氏が

2006.09.07

深くお詫びします
2ちゃんねるを中心に、たいへんな反響を呼んでしまっているようです。
お騒がせして、たいへん申し訳ありません。

言葉足らずの文章を書いたために、多くの方の誤解と憤りを招いてしまったことを、深くお詫びするとともに、弁明させていただければと思います。


まず、今回、親王のご誕生を「めでたくない」と考えているように受け取られる文章を書いてしまったことを、深く、深く、反省しています。

むしろ、僕は親王のご誕生を「おめでたいこと」「よろこばしいこと」だと思っています。それは、性別の如何を問わず、ひとつの命が誕生したことを「よろこばしい」と思っているのです。


ところが、ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず「男の子でよかった」という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしまったのです。

男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さは等しく、尊ばれるもの。そう思っていた僕には、内親王がご誕生した時よりもはるかに舞い上がった今回の慶事ムードに違和感を覚えてしまったのです。


どんな命でも尊いはずだ。


その結論を急ぎすぎたあまり、ご誕生に対するよろこびの気持ちを欠いた表現となってしまいましたことを深くお詫びするとともに、みずからの文才のなさを恥ずかしく思うばかりです。


最後に、僕と同様の疑問を感じていた友人からのメールを紹介させてください。


「テレビで『親王以外にも今日生まれた子おめでとう!! 』なんてセリフを言ってくれるアナウンサーいたらカッコイイのになあ」


思慮が足りず、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫びします。
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2006/09/post_fa1a.html

という〈謝罪文〉を公表したのに、さらに火の手は強まり、コメント数2215!
私は乙武洋匡という人には関心はなかったのだが、

ひとつの命が誕生したことがめでたいの?




それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?

というのはまっとうな問いであるとは思う。
ところで、2ちゃんねらーとか「熱湯浴」が醜悪なのはデフォルトであろう。しかし、それに輪をかけて不快だったのは、例えば、事の本質を隠蔽しつつ、賢人ぶって〈作文指導〉などをしている「玄倉川*1のような手合いである。
親戚でも知り合いでもない〈余所の家〉の慶弔というのはどうでもいいことである。それについて、大声で公に感情を表明するということ自体、さらには感情の表明を自分とは関係のない他者に強要することが慎みを欠いているということになるだろう。無関心というのは時としてとてもノーブルな態度となりうる。醜悪さが充満してしまったならば、然るべき人が貧民ども、鎮まれ!ひとこと宣するのが最良だとは思うが、その然るべき人は民主主義精神をそれなりに内面化してしまっているようなので、それを求めるのは酷であろうか。
谷川さんは「藤原新也さんが9月6日付のブログで書かれていますが、バカ騒ぎするマスコミなど無視をして、私たちが直視すべきは雅子さんの症状であり、笑わない愛子さんの表情なのだと思います」*2と書いている。その藤原さん*3は「あるいはひょっとすると、愛子さんは自分の「生」が望まれているものではないということすら無意識の中で感じ取っているのかも知れない」と書いている。これについては、ここにこそ〈皇族〉という社会的役割から〈個〉が自立する契機があり、またこのような社会的マージナリティこそ文学が、思想が生まれ出づる場所であるということは、慰めたりうるだろうか。