先ずは『朝日』の記事;
古い建物をリノヴェイトして、それを”a very good way to make new money”とするというのは、2002年の「新天地」に始まったかと思う。その後の蘇州河河岸、泰康路、莫干山路の再開発もこのコンセプトに基づいている。
上海の歴史的洋館、相次ぎリニューアル おしゃれに再生
19世紀後半から20世紀初頭にかけて多数の外国人が暮らした上海で、当時建てられた荘厳なビルや洋館のリニューアルが進んでいる。1949年の新中国成立後は事務所や住宅に使われてきたが、老朽化が進み、高層ビルなどの建築ラッシュで取り壊されるケースも少なくない。地元政府は貴重な文化遺産とみて保護に乗り出すとともに、おしゃれなショッピング街や高級住宅街に再生させる意向だ。
長江(揚子江)の支流、黄浦江に沿って旧租界時代の趣を残す外灘(ワイタン)(バンド)。25棟あるビルの大半は英国人らが1920〜30年代ごろに造り、アジア有数の金融・ビジネス街として栄えたものだ。西欧の各時代の建築様式で建てられ、「世界の建築博覧会」と言われるほど。このうち五つのビルが今、次々と高級レストランや有名ブランド品店などが入ったショッピングビルへ再生されつつある。
04年末にショッピングビル「外灘18号」として生まれ変わった旧英国チャータード銀行ビル。貿易会社などの事務所として使われてきたが、ブランド品店が10店舗、フランス料理店やバーも入り、1日1000人が訪れる人気スポットに変わった。
香港の投資会社が市側と20年の賃貸契約を結び、工期2年、1400万ドル(約16億円)をかけて改修した。当時の設計図に基づきイタリア人の建築家が設計し、イタリアの博物館員に監修を頼んで大理石の柱や窓枠の模様まで再現した。
同ビルの李永年マーケティング部長は「ターゲットは中国人の富裕層。投資額は7年で回収できる」と自信たっぷりだ。
プラタナスの街路樹に囲まれ、緑豊かな市中心部の思南路。旧フランス租界の一角には、約100戸の赤い屋根の一戸建ての洋館が並ぶ。戦前にフランス人や中国の資産家が暮らした家だ。新中国成立後は一般市民が暮らしてきたが、老朽化が激しく、昨年から住人を立ち退かせたうえで改修工事を始めている。
一角は市が定めた歴史的建物の保護地区にあたり、多くの洋館が保護建物に指定された。洋館の原状回復を前提とした市で初めての再開発で、市は高級住宅街として売り出す計画だ。市都市計画管理局は「歴史のある洋館は大切な市の資源。改修費は新築よりもかかるが、洋館を守るためです」と言う。
一方、急ピッチな市場経済化と再開発により、趣のあるビルや洋館が取り壊され、外観や内装を現代風に作り替えるなどの乱開発も進む。
危機感を持った同済大学の阮儀三・教授(71)らが保護強化を訴え、市は03年、全国で初めて歴史文化景観地区と歴史建築保護条例を新設。12の保護区を設置し、道路拡張や工場新設などを禁じた。計632カ所、2138棟の洋館やビルを保護建物に指定し、使用者に保護を義務づけた。
さらに外部の建築家らによる専門委員会をつくり、改装に目を光らせる。市は洋館一軒ごとに建築年代や当時の所有者などを特定するカルテづくりにも乗り出した。委員会の副委員長も務める阮教授は「これまで開発第一、保護は二の次だったが、両立させたい」と話す。
(08/22)
http://www.asahi.com/world/china/news/TKY200608220075.html
Christine HUANG, Glori YE “Next-tiandi?” SHAugust 18 2006, pp.6-9
は、建築評論家Paul Goldbergerが「新天地」を評した言葉”Old architecture is a very good way to make new money.”を引きながら、静安区の1995年に操業停止した工場をリノヴェイトする「同楽坊」プロジェクトを紹介する。
これは泰康路や莫干山路と同様に、産業資本主義(社会主義)の遺産を消費社会向きにリノヴェイトするというプロジェクトなのだが、『朝日』の記事で取り上げられている外灘や仏蘭西租界の場合は、イデオロギー的な事情がさらに複雑だろう。何しろ、それらは〈帝国主義〉の遺産だからだ。というか、Old Shanghaiとしてノスタルジーを込めて回想され、また上海のウリにもなっているものにはどれも〈帝国主義〉の明らかな痕跡が刻まれている。