自分マネージメント産業

共謀罪」を巡る『東京新聞』の記事*1。元公安デカは「共謀罪」に反対。その中で、
(「共謀罪」ができると)


 「組織の一員と名乗るヤツが密告してきたら、警察は一応、捜査しなきゃならなくなる。で、とどのつまり犯罪じゃありませんでした、と。こんなヤツが次々に出てきたら、どうなんの? 本当に大事な事件の方は人手不足になっちまう」

 警察の現場は今でも負担が過剰だという。「知ってるか? 同棲(どうせい)中に浮気した本人が元カレやら元カノから『ストーカーされてます』って警察に言ってくる。昔だったら民事ですよで終わったけど、市民相談とか言ってさ、今は山のように持ち込まれてる。調べると、ほとんどは本人が悪い。でも、市民相談受けたら、なんでもかんでも調べて、報告書、書かなきゃいかんってことになってんだよ、今は。そのうえ共謀罪? 人手不足もいいとこになるって。世間の風向きばかり見てる官僚には分からんだろうがね」

という一節。また、

 「ただ、こういう法案を提出させてしまうのは国民の責任でもあると思う。警察の力で事件を未然に防いでほしいという、警察依存の気持ちが昔より強まり、マスコミも同調している。そこに、行け行けどんどん型のキャリア官僚の思惑が結びついた気がします」
フーコーディシプリン社会からコントロール社会への移行と位置づけたプロセスにおいては、当然個々人の自己のマネージメント能力は緩くなる。その一方で、〈自己責任〉という言葉だけはやたらに鳴り響くのだが。そうすると、〈自己のマネージメント〉は外注化され、一連の自己関連産業が繁茂することになる。それは例えば、コンサルタントとかサイコロジストとか弁護士とかである。こういうサーヴィス業の顧客になるのが予算的にきつい人は〈マニュアル本〉の読者となるわけか。警察というのもこうした自己関連産業としてあるわけですね。
勿論、きょうびの産業はどれも〈反映理論〉に基づいて振る舞っているわけではない。〈需要〉なるものに受動的に対応するのではなく、需要というのは何よりも創出されなければならないということになる。