「身の回りに溢れている」もの

承前*1

『日刊スポーツ』の記事;


ダルビッシュ「旅行じゃない」、自己責任論に反論
記事提供:日刊スポーツ
2018年10月26日


カブスダルビッシュ有投手(32)が、シリアの過激派組織による拘束から解放されたジャーナリスト安田純平さんに対する「自己責任論」に反論した。

安田さんの解放に、ネット上では安堵(あんど)と喜びの声が多数あがったが、自ら紛争地帯に入って拘束されたことを非難する自己責任論も少なからずあり、議論が巻き起こっている。

ダルビッシュは25日更新のツイッターで「一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います」と安田さんの解放を喜ぶとともに、「自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います」との考えを示した。

ダルビッシュツイッターには異論も寄せられたが、「人間が助かったわけでそれに安堵するのって変でしょうか? 後悔とか反省って自分でするもので、他人が強要するものではないと思うんですよね」と反論。「なぜ現地に行ったか?考えてから言った方がいいですよ。旅行じゃないんですから」と呼びかけた。

続けて「ジャーナリストが現地に行くことで助かる人たちが増えるし場合によっては他国の介入で戦争が終わる可能性もあるわけです。ただ場所によってはジャーナリストも拘束、殺害されるリスクがあるわけで今回はそのリスクに当たってしまっただけの話。非難はできない」と説明。「逆に4回も捕まっていて5回目も行こうって思えるってすごいですよね。毎回死の危険に晒されているわけですよ。でも行くってことは誰かがいかないと歴史は繰り返されると理解しているからではないでしょうか?」と私見を述べた。
https://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01810263193.html

ところで、世界的には、『ジャパン・タイムズ』の記事があちらこちらに転載されて、流通しているらしい。例えば、


The Japan Times “Japanese journalist Yasuda released 3 yrs after being kidnapped in Syria” https://www.sfgate.com/news/article/Japanese-journalist-Yasuda-released-3-yrs-after-13332428.php

「後半戦」(鷲田清一)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20181023/1540310304に対して、


haruhiwai18
"自律的な主体性の根拠のひとつ""主体性を維持するためには、括約筋の衰えを緩和するトレーニングがあって然るべき""事態が深刻なら、括約筋の機能を代行する人工的な装置が開発されて然るべき" →おむつをですね(ry
2018/10/24
http://b.hatena.ne.jp/haruhiwai18/20181024#bookmark-373146986
括約筋による排泄のコントロールを「自律的な主体性の根拠のひとつ」と書いたときに想起していたのは、鷲田清一先生の『教養としての「死」を考える』*1の一節。

文化というのは粋なもので、エクスタシーのことを小さな死と呼んでみたりすることがあるわけですが、たとえばSMなどは典型的な死の遊びといえるように思います。
あのゲームは、とくにMの人にとっては、黄泉の国まで出かけていって向こう側に着く直前になってから帰ってくるというのと、ほとんど変わらない経験なのではないでしょうか。身体を縛られて自由を奪われ、強制排泄で意志を無視され、覆面を被って顔を隠され、最後には豚と呼ばれて名前まで消される。総じて人間であることに必要な基本的な条件を根こそぎ消去されるという、死とすれすれの遊びであるわけです。
だからこそ、ペアで力をあわせてほとんど超越的な世界を垣間見るような一面があって、その証拠とでもいいますか、SMの遊びには、ゲームが終わった後になって後半戦というのものがあるらしいのです。つまり、生きた心地がしないほどの凌辱の果てまで連れていかれ、命からがらになって生還を果たした、この世のものとも思えないMの人の姿を見ているうちに、Sの人にある狂おしい感情がわいてきて、相手の身体を洗ってあげながら優しくいたわってあげるらしいのです。
Mのほうでは、Sがいて、責めながらも守ってくれなければ、そんな黄泉の国の淵のようなところにまで行くことなど怖くてできないはずですから、二人の間には、ある超越性に媒介された信頼関係が成り立つわけです。また成り立っていないと、できないゲームなのでしょうね。(pp.66-67)
教養としての「死」を考える (新書y)

教養としての「死」を考える (新書y)

ところで、これも思い付きなのだけど、SM系の老人ホームというのができれば面白いんじゃないかと思った。

「転がる石のような軌跡」

石戸諭*1「「何一つ理解できない」と批判されても… 若きボブ・ディラン、世界を変えた貫く力」https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180918-00097340/


ロバート・シェルトンによるボブ・ディラン評伝『ノー・ディレクション・ホーム』の書評。しかし、肝心のタイトルの言及はなし。
最後の一節をコピーしておく;


心地よい音楽に、心地よい言葉が乗る。ポピュラーミュージックに求められる「安心感」をディランは一切考慮しない。大ベテランに期待されるヒット曲、名曲のオンパレードのようなライブもやらない*2。時に自分の過去も否定するように本気で歌い、書きながら常に新しい道を歩き、常に変化を続ける。

 それ自体が「詩的」な行為と言えないだろうか。ディランは「こうだ」と決めつけられることから、常に自由であろうともがいてきた。

 転がる石のような軌跡を大著はあますことなく描き出している。

追憶のハイウェイ61

追憶のハイウェイ61

Dylan (Snys)

Dylan (Snys)

また、

ディランもまたシェルトンに詩について語っている。彼が詩について語ること、それは自身を語ることと同義になる。曰く自身でやっていることは「書くこと」であるとし、詩人についてはこう定義している。

 「詩人というのは自分で詩人と呼ばない人だと思う。自分を詩人と呼べてしまう人は詩人にはなれない。彼らはありもしない祖先のロマンスや歴史的事実に安住しているだけだ。そして周りの人間より少し高い位置にいると思いたがる」

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160122/1453481204 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160127/1453866712 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160325/1458875216 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160409/1460163099 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160415/1460648516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160526/1464228316 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160603/1464959516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161105/1478309427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161211/1481482837 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170103/1483467085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170516/1494962934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171108/1510149623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171111/1510404872 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171113/1510590081 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171222/1513915420 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180206/1517935255 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180226/1519612385 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180301/1519907714 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180303/1520088990 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180417/1523990276 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180502/1525264751 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180523/1527094826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180608/1528425895 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180704/1530682338 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180707/1530924896 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180709/1531104306 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180820/1534758490 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20181019/1539915094

*2:Cf. 馬世芳「親眼見到迪倫那一天」 in 『昨日書』、pp.117-123 See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110224/1298525006

「800人」?

「【地獄】幼稚園選びに気をつけろ【小学校受験】」https://anond.hatelabo.jp/20180726100653


7月の増田なのだけど、注目されたのは最近のこと。ブックマークは全て10月23日以降のもの*1
増田のお子様が通っている「幼稚園」というのは、


・ママ友付き合い一切禁止

 LINE、SNS交換禁止

 交換場面を職員に見つかると容赦なく消させられる

・3人以上の集まり立ち話禁止

 バス停や園の周りで10分以上会話禁止

・幼稚園内すべて監視カメラがあり死角なしで常に職員が園内を監視している

SNSで園について誹謗中傷禁止←見つかったら容赦なく退園

・毎月一週間₍5日間₎の連続参観日がある

 参加しているか毎回確認されており、行っていないと電話で叱れる

・毎月外部から教育者を呼んだ講演会がある

 朝の9時から夜の19時半までみっちり缶詰で幼児教育について語られ洗脳される

 参加しないとボロクソにdisられる

 ご親切なことに親の分の昼食まで用意しロックオン

 酷い月は3日連続で開催される

・参観日も講演会も少しでも寝ると公開処刑

 その場で立たされ、お宅のお子さんが可哀想だ等と叱られる

・あまりの辛さに講演会では泣き出す母親が続出

・グループセラピーみたいに悩みを吐露させ母親たちが泣きだす

小学校受験をしないなら、退園勧奨を促される

・ロックオンされると教育者に子供の行動観察をされる

 800名近くいる園児の中で20名が選出されdisられる

 我が子は体が小さいから肉体労働は向かないから脳みそに金をかけろと言われる

・担任の先生への色紙や手紙、お土産を渡すの禁止

・全員が小学校受験するため、周りはライバル

 性別が違う子のお母さんとなら少し会話しやすい

・夫婦の職業、学歴。乗っている車。戸建てかタワマンかアパートかのマウンティングが当たり前。

 年少で隣の席のママの最初の言葉が「ご主人はどちらの会社にお勤め?どちらの大学出身ですの?うちは京大ですの。」

 運動会では乗っている車のチェック大会、ご主人のルックス品評会

・公立へのヘイトがとにかく酷い

 小学校受験に失敗し、公立に通うことになったら幼稚園併設の幼児教室に通い続けろ

 公立はワクチンだと思って乗り越えろ

 

・毎月の教育費が16万 幼稚園と併設する幼児教育教室を含めた代金

 毎日受講しているため帰宅は18時

・併設している幼児教室を受けない奴は愚弄

 金使え。日能研は糞。うちに金使え。

 中途半端にやるならやめちまえ。

 公立で野生児に育てろ。

・幼稚園、併設の幼児教室以外にお受験専門の教室に土日行かないといけない

 我が家は金銭的な理由、体力的に無理なのでいかせていない

 担任から会うたびに受験専門のお教室決まりましたか?と聞かれる。

・県内、都内の有名小学校パンフレットがコンプリートセットで渡される。


・食育にこだわりがあるため、食材はすべて国産、無添加給食。

 毎年食育勉強会があり、自宅でも国産無添加指定の砂糖、塩、醤油などを使うよう指導される。


・育児の手抜きの重さを一生背負って生きろ!とかの格言プリントが定期的に届く。

ブクマでも疑問を呈していた人がいたけれど*2、園児が「800名近くいる」というのが信じられない。私だったら、先ずこの規模に拒否反応を起こすね。また、この規模だと良くも悪くも目立つ筈で、増田の告発を俟つまでもなく、メディアが嗅ぎつけて、記事とかにしている筈だよ。また、「ママ友付き合い一切禁止」と「マウンティング」の話というのは矛盾していない?
増田が大都市圏に住んでいて、金も持っているなら、「小学校受験」に血道を上げるよりも、幼稚園レヴェルでインターナショナル・スクールに入れて、そのまま18歳になったら、英語圏の大学に入れるという方がコスト・パフォーマンスがよさそうだけれど、如何か。
ところで、「幼稚園」に関して、(自分の経験から)お薦めできるのは、モンテッソーリバイリンガルということくらい。

「怪僧」のメイル?

承前*1

「元貴乃花参院選出馬を熱望する(?)安倍晋三と「怪僧」池口恵観」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20181021/1540088174


貴乃花花田光司氏)の政界進出。『週刊朝日』によると、「来年の参院選の目玉」として貴乃花を「熱望」しているのは安倍晋三なのだという*2。また、週刊朝日は、「永田町の怪僧」といわれる池口恵観*3の、貴乃花に出馬を促すメイルを入手したという*4。気になったのは、そのメイルがリークされた経緯。いったい誰が? 池口が自らリークしたのだろうか。或いは、カーボン・コピーを誰かに送っていて、そっちの方を経由して漏れたのだろうか。何れにしても、貴乃花に対してプレッシャーを強めたという効果はあるだろう。しかし、宛先の貴乃花にしてみれば、紙であれ電子であれ出したての私信をばらされるというのは愉快な感じはしないだろう。それだったら、最初から公的に発信(publish)しろよということになる。また、池口恵観が表面に出て、ポジティヴなイメージを持たれることはあまりないだろう。安倍晋三にとっても、「#ケチって火炎瓶」*5が再度発火するかも知れない時期に、ちょっとリスキーなのでは? さて、敢えてメイルのオーセンティシティを疑ってみる。気になったのは、「不惜身命」という言葉。池口って真言系の坊主ですよね。「不惜身命」というのは『法華経』からの引用で、日蓮系の人がよく使う言葉だけれど、(池口のような)密教系の人や浄土系の人が使っているのは、殆ど聞いたことがない(私の無知のためかも知れないけれど)。貴乃花が現役時代に口上で「不惜身命」という熟語を使って、話題になったということがあったけれど、それは父親の貴ノ花霊友会の信者だったため。