Rakhine州の衝突(メモ)

Associated Press “Burma ethnic violence escalates as villagers flee” http://www.guardian.co.uk/world/2012/jun/12/burma-ethnic-violence-escalates


ビルマ南西部のバングラデシュと国境を接するRakhine州*1における仏教徒のRakhine族*2ムスリムのRohingya族*3の間の衝突はビルマ政府が非常事態宣言を発するまでに至っている。
今回の衝突のきっかけ;


The unrest was triggered by the rape and murder last month of a Buddhist girl, allegedly by three Muslims, and the lynching of 10 Muslims on 3 June in apparent retaliation. There are long-standing tensions between the two groups.
これまでの差別と紛争;

The government regards the Rohingyas as illegal migrants from Bangladesh and has rendered them stateless by denying them citizenship. Although some are recent settlers, many have lived in Burma for generations and rights groups say they suffer severe discrimination.

UNHCR, the UN's refugee agency, estimates 800,000 Rohingya live in Burma's mountainous Rakhine state bordering Bangladesh. Thousands attempt to flee every year to Bangladesh, Malaysia and elsewhere in the region, trying to escape a life of abuse that rights groups say includes forced labour, violence against Rohingya women and restrictions on movement, marriage and reproduction.
ビルマエスニックな紛争というと、ビルマ族vs. カレン族のそれが有名だが、Rakhine州のエスニック紛争はそれ以上に深刻であるようだ。ビルマ族vs. カレン族の対立については、例えば飯島茂「いま、なぜ「民族」と「国家」なのか――草の根の視座に立って――」(in 飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』アカデミア出版会、1993)*4などを参照のこと。
Rohingya族に関しては、


Mike Thompson “Burma's forgotten Rohingya” http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4793924.stm


あり。

狭間へ

東京新聞』に載った共同通信の記事;


ガルシア・マルケス氏が認知症か 中南米文学の代表作家

2012年6月11日 22時47分


 【リオデジャネイロ共同】中南米文学を代表するコロンビアのノーベル賞作家、ガルシア・マルケス氏(85)が認知症を患っていると同氏の親友の作家が明らかにした。同氏が住むメキシコなどのメディアが11日までに伝えた。

 親友のコロンビア人作家によると、同氏は友人らを認識できなくなっており、過去5年間、電話で話していないという。同氏は1999年に患ったリンパ腫を克服した後、2004年に10年ぶりの新作を発表して以来、新作を出版していない。

 マルケス氏は67年発表の長編「百年の孤独」などで中南米文学の旗手と呼ばれるようになり、82年にノーベル文学賞を受賞した。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012061101002416.html

少し前に、ガルシア・マルケス死すという噂が拡散していたのだった*1

原田正純さんが亡くなっていた

原田正純さんがお亡くなりになったことを知る。取り敢えず、合掌。
『毎日』の記事;


原田正純さん死去:胎児性水俣病を確認…患者から学ぶ貫き


水銀汚染の恐ろしさを世界に知らしめ水俣病カネミ油症患者の医療にも携わり、国内外の公害問題で活発な発言を続けた原田正純さん(77)。胎児性水俣病を確認して50年の節目の死に、関係者から惜しむ声が相次いだ。

 4月23日に原田さんの自宅を訪ねたNPO法人水俣フォーラム」(東京)の実川(じつかわ)悠太事務局長は「病床でも『患者さんを1人にしちゃいかん』と繰り返した」と振り返り「患者から学ぶ姿勢を貫き、それが差別され医療に対する信頼を失いつつあった患者の救いとなった」とその死を惜しんだ。

 約50年前、原田さんの診察を受けた水俣病胎児性患者の永本賢二さん(52)=熊本県水俣市=は「体が痛くてものすごくきつかったが、原田先生はいつも真剣に診察してくれた。先生が診てくれたから私たち胎児性患者の存在が認められた。ありがとうという言葉しかない」と語った。

 また、研究を共にした中地重晴・熊本学園大学教授(環境化学)は「本当にまじめな先生で公害被害者の立場に立ち、体制側に取り込まれないという信念を貫かれた。生き方を尊敬している。皆で先生の思いを継ぎ、被害者の救済につなげていきたい」と話した。

 公害研究を通じて約25年前から原田さんを知る津田敏秀・岡山大大学院教授(疫学)は「いろいろな患者団体や考えの人が参加した運動を『よかたい、よかたい』と言ってまとめる姿が印象的だった」と振り返った。
2012年06月12日 01時45分
http://sp.mainichi.jp/m/news.html?cid=20120612k0000m040099000c

原田さんといえば、昨年の311を踏まえたインタヴューにおける「専門家」に関する語りの記憶がまだ新しい*1

Chine par Valery

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

ポール・ヴァレリーの「東洋と西洋――ある中国人の本に書いた序文――」*1から;


中国は、ずっと長い間、我々にとって、別の天体であった。そこに住むのは我々の幻想が生み出した住人だった。なぜなら、他者を我々の眼に奇異に映るものに還元してしまうのは、この上なく自然なことだからだ。かつらを被り、色粉をはたいた顔、あるいは山高帽をかぶった顔は、辮髪をなびかせた顔を理解できないのである。
我々はこの途方もない人民に、支離滅裂に、叡智と種々の愚考を仮構している。弱点や持続性、ある種の無気力と驚異的な手先の器用さ、ある種の無知と、その反面の、抜け目のなさ、素朴さとその反面の繊細さ、それらはすべて比類のないものである。簡素かと思えば、驚嘆に値する洗練された事物がある。我々は中国を莫大かつ無力、創意に富むが足踏み状態にあり、迷信が横行するわりに神は存在せず、残虐な面がある一方で哲学的であり、家父長が統治しているようで腐敗している国だとみなしてきた。そして我々が中国について抱くこうした無秩序な観念に惑わされて、エジプト人ユダヤ人、ギリシア人やローマ人に関連づけて考えることが慣わしになっている我々の文明システムの中にどう位置づけていいのか分からないのだ。中国が我々に対してそう思っているからといって、彼らを野蛮人だときめつけるわけにもいかないし、かといって、我々が誇りに思っている高みにまで持ち上げることもできないので、我々は、中国を別の天体、別の歴史、現実的であると同時に不可解な、共存者ではあるが、けして交わることのない存在範疇に分類するのである。
我々にとって最も理解し難いのは、精神の意志が制約され、物質的な力の使用が抑制されることである。羅針盤を発明しながら、好奇心をさらに一歩進めて、磁気科学にまで注意をこらさないのなら、何のためか、とヨーロッパ人は自問する。また、羅針盤を発明しながら、海の彼方にある陸地を探索し支配するために、遠く艦隊を派遣することを考えずにどうしていられようか、とも考える。――火薬を発明した人たちは、化学を発達させることもなく、大砲を作ることもなく、それを使って夜の虚しい遊びごと、花火に興じるだけだ。
羅針盤、火薬、印刷術は世界の様相を変えた。それらを発見した中国人たちは自分たちが地球の安眠を無際限に破ったことに気づいていなかった。
我々にとって、それは、言語道断だった。とことんやらないと気がすまない気質を最高度に持っている我々*2、そういう気質を少しも持たないことが理解できず、あらゆる利点や機会からこの上なく厳密で過剰な結果を引き出さないでどうしていられるかと思っている我々にとって、それらの発明をとことん発展させることは必定である。我々の仕事は世界を身動きができなくなるほど狭くし、未知の事象の茫漠たる広がり以上に、自分で実際に知ることができる範囲の知識で、精神をとことん責めたてることではないのか?(pp.300-302)
このテクストは、Cheng Tcheng(盛成)Ma mere(1928)のために書かれた序文。ヴァレリーは 盛成について、「この人は、自身、中国の知識人の息子であり、かの尊敬すべき、高名なる老子の末流にあたる古い家柄の出で、フランスには自然科学を学ぶためにやってきた」と書いている(p.309)。
Cheng Tcheng(盛成)については取り敢えず、


http://baike.baidu.com/view/465855.htm(中文)
http://www.larousse.fr/encyclopedie/ehm/Cheng_Tcheng/180727 (仏文)


をマークしておく。またポーランド生まれの女性画家Mela Muter*3による盛成のポートレイトあり*4。仏文のテクストは短すぎるが、『百度百科』の方を読むと、(20世紀の中国知識人にとっては決して例外的ではないのだが)まさに波瀾万丈の人生だったことがわかる。