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脱原子力社会へ――電力をグリーン化する (岩波新書)

脱原子力社会へ――電力をグリーン化する (岩波新書)

昨日*1に引き続き、長谷川公一『脱原子力社会へ』から。


都鄙感覚は、現代的には地域間格差に対応している。都鄙感覚と地域間格差を前提に、とくに過疎的な地域に立地されてきたのが原子力発電所であり、核燃料サイクル施設をはじめとする原子力施設である。フクシマ事故が例証したように、放射能汚染などの不利益を集中的に被るのは過疎地の立地点であり、電力の恩恵に浴するのは首都圏という差別的な構造がある。電力を取り出したあとの使用済み核燃料は、各原子力発電所を経て、青森県六ヶ所村の再処理工場やむつ市に建設中の中間貯蔵施設に集中する。広く薄く利益を受ける人びとがいる一方で、リスクや迷惑は一部地域の人びとが集中的に被るという構造がある。(pp.44-45)
長谷川氏によると、「都鄙感覚」(或いは〈中心−周縁〉的な構造)を最も象徴的に表しているのは「郵便番号」制度だということになる。

大事故を起こした福島第一原子力発電所福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原二二に位置し、郵便番号は九七九−一三〇一。稼働中の原子力発電所の中でもっとも古い福井県敦賀原子力発電所の郵便番号は九一四−八五五五。筆者の住む宮城県にある女川原子力発電所の郵便番号は九八六−二二九三。(略)日本には一七ヵ所に原子力発電所があるが、そのうち九ヵ所は郵便番号の上三ケタが九XXである。五四基ある原子炉(運転終了した三基と長期休止中のもんじゅをのぞく)のうち三五基、六四・八%は郵便番号が九XXである。日本の原子力発電所は、九XXに集中している。これは何を意味するのか。
郵便番号が一XX(東京都)や二XX(東京都・千葉県・神奈川県)、五XX(大阪府など)の都府県に原子力発電所はない。
原子力発電所の郵便番号が意味しているのは、日本の原子力発電所が周辺的な場所に位置しているということである。しかも北陸四県、南東北三県、いずれも郵便番号が九XXであることはきわめて興味深い。ちなみに米軍基地問題に苦しめられてきた沖縄県の郵便番号も、九〇Xである。青森県上北郡六ヶ所村にある核燃料サイクル施設を運営する日本原燃株式会社の郵便番号は〇三九−三二一二。北東北三県と北海道の郵便番号は〇XXである。
一方、東京都千代田区内幸町の東京電力本社の郵便番号は一〇〇−八五六〇。霞が関にある経済産業省の郵便番号は一〇〇−八九〇一。大企業の本社が集中する千代田区大手町の郵便番号は一〇〇−〇〇〇四。
一〇〇−〇〇〇一は、東京都千代田区千代田一−一。皇居の郵便番号である。
郵便番号は日本に於ける価値のありか、日本独特の「都鄙感覚」をわかりやすく示している。
価値の中心は皇居にあり、郵便番号の数字の大きさは、価値の中心からの距離を示している。郵便番号が九XXというのは、沖縄県北陸地方南東北が日本社会の周辺部に位置することのシンボルである。そして商業用原子炉の三分の二は、周辺部に位置している。
日本で郵便番号の制度が始まったのは一九六八年。皇居からの距離が、社会的価値に対応するというシステムを日本社会は現代においても再確認しているのである。
(略)
日本はおおよそ、東京都が一XX、千葉・神奈川県が二XX、北関東(茨城・栃木・群馬・埼玉県)および長野県が三XX、山梨・静岡・愛知県が四XX、岐阜・滋賀・三重県大阪府が五XX、和歌山・奈良・兵庫・鳥取島根県京都府が六XX、岡山・広島・山口県と四国が七XX、九州が八XX、北陸と南東北および沖縄県が九XX、北東北と北海道が〇XX。東京を中心に、周辺になるほど、番号が大きくなる。(pp.40-44)
あと鉄道の「上り・下り」。そして「選挙区の番号」。

一九九四年の公職選挙法改正で導入された衆議院小選挙区の区割りの番号も、県庁が所在する地区が一区という慣例になっている。中心に近いほど選挙区の番号は若く、周辺になるほど番号は大きくなるというのが隠されたコードである。(p.44)
「郵便」と「国民国家」の関係についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091220/1261338187も参照のこと。
ところで長谷川氏の指摘によれば、日本では原子力はずっと(法的な意味における)〈環境問題〉ではなかった。「旧公害対策基本法」や「環境基本法」の対象から原子力は外されていたし、旧環境庁も(環境省に再編・昇格するまでは)「温排水規制」にしか関与してこなかった。韓国や台湾も日本の影響でそうであったらしい。また「環境アセスメント法(環境影響評価法)」でも「放射能汚染」は「影響評価項目からは除外されている」(pp.38-39)。

これって「一般意志」?

社会契約論 (中公文庫 D 9-2)

社会契約論 (中公文庫 D 9-2)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

承前*1

ルソーの『社会契約論』の中の或る註を採り上げて、「「一般意志」生成の前提としての〈敵〉の存在」ということをマークしておいたのだが、ポール・ヴァレリーは「フランス学士院におけるペタン元帥の謝辞に対する答辞」において、1914年、つまり第一次世界大戦が始まったときの「祖国」に対する「陶酔」を回想している。そのとき、ヴァレリーは、或いは仏蘭西人は「一般意志」に酔っ払っていたといえるのかどうか。


戦争だって? とフランスは言うのです、――よかろう。
そしてそれが仏蘭西の歴史のなかで最も悲壮な、最も意味深長な、――言うなれば、――最も愛すべき瞬間だったのです。同じ瞬間に、同じ雷に打たれ、自分の何たるかを自覚し、回心したフランスは、この時ほど深い一体感を感じたことはありませんでした。そういう一体感を感じる可能性すら以前にはなかったのです。私たちの国は、この上なく多様で、意見もまちまちでまとまりを完全に欠いていました。それが、一瞬の裡に、すべてのフランス人にとって、一つに融合した国になったのです。私たちの意見の違いは雲散霧消し、これまで互いに相手になすりつけあっていた化け物じみたイメージから目を覚ましたのです。党派、階級、信条、過去や未来についてみんなが抱く様々な観念が一つにまとめられたのです。すべてが純粋なるフランスに収斂するのです。暫しの間、一種の予期しなかったような友情、ほとんど宗教的な同胞愛的感情、通過儀礼に見られるような奇妙で、これまで経験したことのないような甘美な感情が生まれたのです。多くの人が自分の国をこれほどまで愛することを心の中で怪しみました。そして、突然襲ってきた痛みが私たちに自分の体の深奥への意識を目覚めさせ、通常は感じられないある現実の存在に気づかせるように、戦争になったという電撃的な感覚は私たち全員にこの「祖国」の実在を見せつけ、認識させたのです。それは言葉で言い表せないこと、冷静には定義できない観念的存在、人種でも言葉でも土地でも利害でも歴史でも特定できないものです。分析すれば否定できるもの、しかし、まさにそれゆえに、その抗い難い強度において、熱愛や信仰、人間を自分でも分からないところまで連れていく、――自分の外へ引き連れて行く、あの神秘的な憑依状態の一種に似た感情なのです。「祖国」に対する感情は、恐らく痛みと同じ種類の感覚、滅多に味わうことのない異常な感覚に通じるものです。一九一四年に私たちが目にしたのは、最も冷静で、最も考え深く、最も自由な精神の持ち主と思われていた人々が祖国愛に燃え、気を動転させたことでした。(pp.338-339)
ヴァレリーは(戦争中の)1942年に「ペタン元帥頌」というテクストも書いている(pp.367-385に所収)。ペタン*2と所謂ヴィシー政権について、訳者の恒川邦夫氏は「フランス学士院におけるペタン元帥の謝辞に対する答辞」への「解題」に以下のように記している;

ペタン元帥Phillipe Petain(1856-1951)は、第一次世界大戦の対独戦における功績(とくにヴェルダンの戦いにおける勝利)で、元帥の称号を与えられた英雄であった。しかし、一九四〇年、ナチス・ドイツの侵攻により、フランスの軍事的敗色が濃厚になった時点で、主戦派の政府首脳に対して、対独講和を主張した。そして時の内閣が倒れると、後任の首相に推され、新政府を樹立、ドイツと休戦協定を結んだ。元帥はその時すでに八十四歳になっていた。休戦協定によりフランスの北部と東部はドイツ占領下に置かれたので、フランス政府は南のヴィシーに置かれた。以後、ナチス・ドイツとの協力関係を強いられることになり、次第に傀儡政権化していった。一九四四年《自由フランス》のド・ゴール将軍が凱旋しナチスが敗北、フランスに再び共和制が復活すると、ペタンは裁判にかけられた。判決は国家反逆罪の適用による死刑であった。しかしド・ゴール将軍により、高齢を理由に、無期禁固刑に減刑され、一九五一年、九十五歳で永眠するまで服役した。ペタン将軍については、前半生の国家的英雄象と後半生のナチス・ドイツ協力者像との間に著しい断絶がある。そもそも、国家存亡の危機に際して、高齢のペタン元帥を政治の表舞台に引き出して、全権を委ねたのは当時の議会であり、国民であった。したがって、戦後になって、対独講和、休戦協定、ヴィシー政権成立などの一切を彼一人の責任に負わせるのには無理があるようにも思われる。(pp.472-473)
ここでも問題はまた「一般意志」に回帰する?

今週の上海


プラタナス(法国梧桐)@衡山路*1

1920年に建てられた洋館*2。住所の表示は「愚園路」となっているが、実際は宣化路から少し奥に入ったところにある。

Laksa(叻沙)。Mo' Laksa(新楽路)にて。

Wagas@東湖路*3

「幸福の科学大学」!

承前*1

「経済思想」さん経由で知る。
千葉日報』の記事;


幸福の科学大学」15年開学へ 4学年960人規模 長生村に建設予定
2012年04月26日 15:50

 学校法人幸福の科学学園(九鬼一理事長)は25日、県庁で記者会見し、長生村に2015年4月開学を予定している幸福の科学大学の計画概要を発表した。人間幸福学部(文系、1学年170人)、未来産業学部(理系、1学年70人)の2学部で、4学年全体の学生数は960人規模となる見込み。

 同学園によると、建設予定地は九十九里浜に近い同村一松の約17万平方メートル。宗教法人幸福の科学から寄付を受けた。隣接地には宗教施設「千葉正心館」がある。

 大学には校舎、体育館など運動施設、学生・教職員寮、管理棟などを設置。校舎屋上は、津波など災害時避難場所として学生、教職員と、近隣住民計約3千人が収容できるよう計画しているという。
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/79241

まあ吃驚! なのだけれど、どういう人がスタッフになるのかは興味津々。俺としては、「人間幸福学部」の学部長にはやはり島田裕巳さん*2を迎えるべきだと思うのだ。「未来産業学部」の学部長はやはりドクター中松