「グル」と「研究者」(メモ)

野田成人、大田俊寛「自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰http://www.cyzo.com/2011/08/post_8361.html


「アレーフ」の元代表野田成人氏と宗教学者大田俊寛氏との対談*1大田俊寛氏はオウム真理教論である『オウム真理教の精神史 ロマン主義全体主義原理主義』を上梓している。この本は読んでいないし、川瀬貴也氏の紹介*2を読んでももやもやとしたままで、『啓蒙の弁証法*3という書名は挙げていないものの、「「野蛮」への回帰ではなく、近代(的な人間中心主義)こそがナチズムを生んだのだ」という「フランクフルト学派以来の思想的課題」に言及していて、少しはぴんと来た*4

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (SELECTION21)

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (SELECTION21)

さて対談だけれど、インタヴューの仕方、編集の仕方に問題が多いぞと思った。例えば「大田さんは以前に「グノーシス主義」を研究されていますが、グノーシス主義とは何でしょうか?」という質問に、大田氏は

一言で言えばグノーシス主義とは、紀元二世紀頃、初期キリスト教に発生した異端的宗派のことです。しばしば「キリスト教の最初にして最大の異端」とも呼ばれています。
と答えているけど、これ以上突っ込むことなく次のトピックに移っている。この回答だけですんなりと次のトピックに移れる読者は「グノーシス主義」についての相当の知識を持っている人だけだろう。もっと突っ込まんかい! 私もグノーシス主義オウム真理教との繋がりについて考えたことがあるけれど、それはグノーシス主義の或る重要な特性を前提にしてのこと。「グノーシス主義」とはどういうコスモロジーを持った思想体系なのかを説明しないと、読者はそのことを窺い知ることはできないだろう。また、大田氏による宮台真司『終わりなき日常を生きろ』*5の要約は粗すぎると思った。そのまとめ、ちょっと大雑把じゃないすかと突っ込んでほしかった。ここでの大田俊寛氏の発言は3つの主題からなっていると思った。先ずは「宗教学」の「ディシプリン性」という問題。曰く、「一方で宗教学の中では、宗教学はディシプリンを必要としない「ゲリラ学」であるといった、根本から誤った認識がいまだに拡がっており、私はこうした考え方が、オウム事件を後押しすることにつながったのではないかと考えています」。「ゲリラ学」云々というのは元々柳川啓一先生の言葉だったと思う。周知のように、柳川先生は堀一郎などとともに戦後日本の宗教学の基礎を作った人で、柳川先生とともに日本の宗教学は〈社会学的転換〉を遂げたとも言えるのではないかと思う。これは宗教学の存立を巡る根柢的な問いであり、実際の「宗教学者」の反応を聞いてみたいものだと思う。私見を述べれば、「宗教学」が「ディシプリン」を求めればそれは最早「宗教学」ではなくなり、社会学や人類学や歴史学や哲学になるしかないのだと思う。勿論、宗教社会学社会学の中心近くに位置すべき分野だとは思うけれど。また逆に、女性学やCSのように「ディシプリン」たることを拒否し、「ディシプリン」批判を自覚的に追求するという途もあるわけだが。
次いでは、「研究者」としての中沢新一宮台真司批判。「ポアという言葉をオウムに教えたのは、『虹の階梯』ですからね」という発言もあって紛らわしいのだが、彼らが批判されているのはオウムを擁護したのか批判したのかというような次元においてではない。

私は中沢さんに対して極めて批判的ですが、彼は事件当時、方向性を見失ったオウム信者たちを今後は自分が引き受け、彼らに生き方の指針を示すといったことを発言した。また、社会学者の宮台真司さんは、『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房)という著作を発表し、麻原の打ち出した方向性は間違っていた、ゆえに今後の主体はこうあるべきだというヴィジョンを、あたかも「新たなグルの指令」のような仕方で発信した。研究者という立場にありながら、「次は俺がお前たちの生き方を示す」といったメッセージを軽薄に発してしまったことには、大きな問題があったと思います。むしろ研究者は、安易に状況に介入するのではなく、その事件や現象がどのような歴史的経緯とメカニズムの上に成り立っているのか、あるいは、それが社会的に蓄積されてきたどのような問題によって生み出されたのかを、可能な限り客観的に説明することに努めるべきであると思います。
つまり、彼らが「研究者」として必要なディタッチメントを適切に行わなかったことが批判されているのだ。これには共感するところが大なのだが、これはさらにacademicianとintellectualの関係という主題に論を進めていかなければならないだろう。また、「中沢さんや宮台さんの言説の背景にあるポストモダン的なニーチェ主義は、思想史的に見ればまさにオウムと同根である」ということだが、これについては賛同を留保する。所謂現代思想といわれるものは、フーコードゥルーズデリダといった〈ポスト構造主義〉と俗に謂われているもののみならず、現象学や解釈学にしても、ニーチェの思想・言説を前提としているのであり、そう言うのなら、所謂現代思想を総体として批判するという作業を遂行してよということになる。
第三の主題は「近代においては、宗教と死の問題が私的領域に追い込まれ、オウムのような宗教が出てきてしまった」ということ。大田氏が述べていることは、これまで宗教社会学において〈世俗化(secularization)〉の問題として議論されてきたことだろう。ただ、〈世俗化〉と「オウム」の間には媒介となる層が色々とあるのではないか。たしかに、「政教分離」(laicisationというべきか)は「死とは何かという問題については、個々別々に勝手に考えてくださいという状況」を生み出したといえる。しかし、「死」の意味に限って言えば、それは直ぐにナショナリズム社会主義運動に回収されてしまったといえないだろうか。ナショナリズムにせよ社会主義にせよ、「(例えば)〈死〉のような限界状況(marginal situation)に関係しない政治イデオロギーは存在しない」*6。多分(狭い意味での)自由主義を例外として。日本でも1945年までは、天皇陛下のために花と散って靖国神社に〈英霊〉として祀られることが良き死であるとされていたわけだ。国家的な政治イデオロギーを離れても、日本の庶民レヴェルでは、「死」の意味は、先祖崇拝と習合し、地域社会に組み込まれた江戸時代以来の寺檀制度、所謂既成仏教によって担われていた*7。寧ろ近代以降の日本において仏教は(生ではなく)専ら「死」の意味を管理する制度として位置づけられていたのではなかったか(これについては、末木文美士氏の『仏教vs.倫理』における「葬式仏教」再評価を参照すべきか)。何が言いたいのかといえば、〈世俗化〉と「オウム」の関係を云々するのであれば、その間にあるナショナリズムや左翼運動や地域社会等の(特にplausibilityの準位における)変容に言及しなければいけないのではないかということである。また、近代社会における「死」の意味づけと「オウム」との関係について疑問に思うのは、オウム真理教というのは「死」に纏わる儀礼を殆ど発展させてこなかった教団だからだ。宗教における「死」への関心というのはたんなる理論(理屈)ではなく儀礼=実践において表出されるべきだろう。世俗宗教(例えばナショナリズム社会主義運動)でも「死」に纏わる洗練された儀礼体系を構築しているのだ。そもそもオウム真理教暴走の発端は修行中の信者の事故死に向き合うことをせずにそれを隠蔽したことにあるわけだから。
仏教vs.倫理 (ちくま新書)

仏教vs.倫理 (ちくま新書)

さて、野田成人氏曰く、

他には僕が学生の頃はコンパが盛んに行われ、酒を一気飲みさせられたり、頭から酒を浴びせられたりしました。こんなことの何が楽しいのかとあきれていました。ちょうどバブルの真っ只中だったこともあり、世間はお金と物であふれていました。そういった物質主義的なところに違和感を覚えていたのも確かです。
「一気飲み」は「バブル」以前からあったよと思ったのだが、やはりオウム真理教は「尾崎豊」と等価だったのだ*8。実はオウム真理教尾崎豊を利用していたし。また、昭和と平成の境目において、林真理子がバブル的な〈軽佻浮薄〉とは対極的な存在として昭和天皇を幻視したということを思い出した。小林よしのり*9のオウム批判は〈軽佻浮薄〉を擁護するという側面も(少なくとも当初は)あったけれど、やがて〈軽佻浮薄〉に耐えられなくなってウヨ道に踏み込んでしまったということか。

*1:後篇はhttp://www.cyzo.com/2011/09/post_8372.html

*2:http://d.hatena.ne.jp/t-kawase/20110330/p1

*3:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061107/1162865739 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080822/1219374573 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100829/1283053798

*4:対談における大田氏の発言を読んでいて、フランクフルト学派とは自由主義への懐疑も共有しているように思えた。フランクフルト学派自由主義に対する懐疑については、例えば徐友漁「自由主義、法蘭克福学派及其他」(『重読自由主義及其他』、pp.15-31)を参照のこと。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081217/1229476684

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070202/1170441629 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070704/1183564169 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110630/1309460207

*6:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100111/1263239192

*7:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100205/1265388202

*8:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070427/1177703588 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101220/1292781372

*9:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060124/1138069211 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061021/1161440194 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070305/1173063168 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070427/1177703588 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090306/1236305383 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090602/1243971742 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091004/1254657572

最古の石器

承前*1

Ian Sample “Hand axes unearthed in Kenya are oldest advanced stone tools ever found” http://www.guardian.co.uk/science/2011/aug/31/hand-axes-oldest-advanced-stone-tools


ケニア北西部のTurkana湖の湖畔で約176万年前の石斧が発掘された。これまで発掘された最古の「進歩した石器(advanced stone tool)」はエチオピアのKonsoで発掘された140万年前のもの。但し、より素朴な石器については、タンザニアのOlduvai渓谷で260万年前のものが発見されている。こうした最初期の石器はOldowan Toolと呼ばれ*2、今回ケニアで発見されたようなより洗練された石器は(仏蘭西の遺跡に因んで)Acheulian Toolと呼ばれる*3。さて、記事によると、こうしたアフリカにおけるAcheulian Toolの発掘は「直立猿人(Homo erectus)」の起源や移住の問題に深刻な疑問を投げかけているという。何故直立猿人はアフリカから亜細亜へ石器作りのテクノロジーを携えて行かなかったのか。グルジアのDmanisi の180万年前の直立猿人遺跡では洗練されたAcheulian Toolは発見されていない。最も過激な意見は亜細亜における直立猿人*4はアフリカ起源ではなく亜細亜起源であるというもの。また、亜細亜に移住する途中で石器技術を忘却してしまったという意見もある。なお、倫敦の国立自然史博物館のChris Stringer氏*5は、直立猿人のアフリカ以外への拡散は現在考えられているよりも古い時代に開始されたと推論している。そして、洗練された石器の発明は移住後に複数回に亙って行われた、と。
ところで、石器といえば『2001年宇宙の旅』を思い出すというのもかなりベタだな。

2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫 SF 243)

2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫 SF 243)

「四月是最残忍的月份」

荒地 (岩波文庫)

荒地 (岩波文庫)

小波・李銀河夫妻のラヴ・レター集である『愛你就像愛生命』*1に収録された李銀河老師のエッセイ「四月是最残忍的月份」のタイトルはエリオットの『荒地』の詩句に由来する。


四月是小波去世的日子。我想起了英国詩人艾略特的一個詩句:四月是最残忍的月份。這句詩出自《荒原》、過去読過、只是覚得奇怪:詩人要表達的甚麼呢? 為甚麼四月是最残忍的月份? 為甚麼不是七月? 為甚麼不是十二月? 聴上去這併不是一個理性的判断。但是詩人肯定感覚到了甚麼。
小波去世之後、這個詩句驟然炸響在我耳辺、使我感到前所未有的震驚和詭秘。震驚之余、我仔細琢磨這句詩的含義、心中模模糊糊有了一些感覚。我想、詩人対四月的感覚可能是:春回大地、万物復蘇、新的生命拼命破土発芽、以它們盲目的、生猛的生命力破壊不夠強勁的物種、不顧一切地生長感到黯然神傷。所以詩人説:四月是最残忍的月份。
這些日子、北京的楊樹、柳樹都発芽了、最早是迎春花開了、然後是桃花、然後是桜花。整個城市発散着一種奼紫嫣紅的残忍気息。在一週之前、我走在路上、看着緑的樹和紅的花、想到:九年前的今天、小波的生命還剰下七天的時候、他知道嗎? 他感覚到了嗎? 今天、我又走在路上、想着九年前的今天、小波給在英国剣橋大学的我発出了最後一封電子郵件、他写道:北京風和日麗、我要到郊区的房子去看看了。可是就在次日凌晨、他的生命飄然而去。這対於正当壮年的他是多麼残忍。這対於我又是多麼残忍。我怎能不説:四月是最残忍的月份!
小波就是這様在這残忍的四月残忍地離我而去。現在的他、已経在一個脱離了肉体而只有精神的地方了。他遠離了世俗的一切。他遠離了世間所有的美好、也遠離了世間所有的醜陋。他遠離了愛情、親情和我対他的思念、重新成為一個孤独的霊魂。他俯視着我們、他俯視他曽深愛的一切。(pp.199-201)
また、『愛你就像愛生命』の「序」にて李銀河老師曰く、

小波離去已経七年了。七年間、樹葉緑了七次、又黄了七次;花児開了七次、又落了七次。我的生命就在這花開花落之間匆匆過去。而他的花已永不再開、永遠地枯萎了。(p.5)
これについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110711/1310356905も参照のこと。
李老師は北京の四季に言及している。北京の四季については、敦崇『北京年中行事記』と村山孚『北京新歳時記』を取り敢えずマークするが、やはり2冊とも古すぎる!
北京年中行事記 (岩波文庫)

北京年中行事記 (岩波文庫)

北京(ペキン)新歳時記 (徳間文庫)

北京(ペキン)新歳時記 (徳間文庫)

満洲族と犬(メモ)

天怪地奇の中国

天怪地奇の中国

中国国内に居住する民族で犬食を禁忌とする民族には瑶族があるが*1満洲族もそうであった。清朝の開祖、ヌルハチが犬に生命を救われたという伝説がある。西村康彦『天怪地奇の中国』*2から;


(前略)単騎敗走の途中、疲れ切って草原の中で眠ってしまった奴児哈赤に敵兵が迫り火を放つ。草原をなめるように燃えひろがる火に気付いた犬は、走って河辺を往復しては主人の四周の草を濡らして救い、やがてみずからは精魂つきて焼死する。目覚めた奴児哈赤は焼野原と濡れた草、犬の死体から事情を察し「今後、子孫万代にわたり永遠に犬肉を食わず、犬皮も身につけまい」と誓う。(p.212)
瑶族における禁忌はその起源神話に由来するが、『南総里見八犬伝*3の元ネタにもなった瑶族の起源神話については、王明珂『英雄祖先與弟兄民族』*4pp.165-168、また白川静『中国の神話』を取り敢えずは参照のこと。
中国の神話 (中公文庫BIBLIO)

中国の神話 (中公文庫BIBLIO)