「書店の社会的責任」?

承前*1

村上力「売れるならそれでいいのか  排外主義を煽る本で書棚は満杯、書店の社会的責任はどこに」http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201003291114581(Via http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2010/03/post-611a.html


紀伊国屋書店の某店舗では「マンガ嫌韓流山野車輪著 晋遊舎)」シリーズや、「在特会」会長桜井誠氏の著作「反日韓国人撃退マニュアル(桜井誠著 晋遊舎)」などの、人種的偏見を煽る出版物を平積み欄にて大々的に展開している」。紀伊國屋書店側は「書店は「『売れているから置いている』としか答えようがないので、取材に応じることはできない」として、事実上取材を拒否した」という。そして、村上氏は「同時に上の書店の認識は、同店の書店としての社会的責任の希薄さを露にした」と憤る。
マンガ嫌韓流』とか『反日韓国人撃退マニュアル』といった本が「平積み」になるほど売れているということは知らなかった。ただ、村上氏の〈憤り〉については、谷川さんの反批判にほぼ同意する。正直言って、村上氏の紀伊國屋に対するdisりは批判というよりも八つ当たりというべきだろう。また、谷川さんは「なんだか、「排外主義を煽る本」を置く書店を批判している記者さんの文章や論点自体が、排外主義っぽく見えてしまうのは私だけでしょうか」と書いているけれど、「排外主義」本を売るということで本屋を糾弾するという身振りはexclusionという身振りであるだけでなく、〈臭いものには蓋をしろ〉的なせこくて権力的な身振りでもあるということは申しておかなければならないだろう。
ところで、村上氏は紀伊國屋に反排外主義本が置かれているのかどうかを取材しなかったのだろうか。また、書店、特に大書店の売り場で自社の出版物が如何に目立つ場所を確保するのかを巡る競争は熾烈で、そのために各社の営業が鎬を削っている筈である。『マンガ嫌韓流』とかが平積みされているということに関しては、寧ろ「晋遊舎」という版元の営業の動きの方が重要だろうと思う。そちらの方に目を向けていないということにおいて、上に掲げたテクストはルポルタージュとして失敗しているとは思う。

「第50公里」

ヴェトナムは海陽(Haiduong)のHoang Long*1という会社のHoang Long Banh Bau Xanh Bac San(黄龍緑豆餅)というお菓子を食べた。緑豆の落雁である。面白いと思ったのは、会社の住所の表示の仕方。パッケージには英語と中国語で会社所在地が表示されている;


Road 05 at Km 50 (from Hanoi city to Haiduong city)

海陽市. 工業区. 公路5. 第50公里(従河内市到海陽市)


つまりHaiduong市の工業区で、ハノイから国道5号線でちょうど50キロ目の場所という意味になるのだろうけど、こういう住所表示の仕方というのは初めて見た。

石を石として

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100407/1270572802について少し反省。「玉石混淆」とか言って、「玉」と比べて「石」を不当に差別したのではないか。「石」は石として肯定されるべきなのではないか。
そう思っていたら、小池昌代に「石」をテーマにした短編小説があったということを思い出した。「石を愛でる人」(『感光生活』、pp.67-77)。「わたし」がTV局のプロデューサーの「山形さん」に石の展覧会に誘われて、「山形さん」に〈恋愛未満〉的な感情を抱くというような筋。


趣味といってもいろいろあるが、山形さんの場合は、「石」であった。「石」を愛でることであった。そのようなひとを、一般に「愛石家」と呼ぶらしい。愛猫家とか愛妻家とか、考えてみれば、世の中には何かを愛して一家を構えるほどの人が結構いる。しかしアイセキカと聞いて、即座に石を愛するひととは、ちょっと思い浮かばなかった。(p.67)

今、わたしの机の上には、イタリアのアッシジで拾ってきた、大理石のかけらが四つある。イタリアの明るい陽に、きらきらと微妙な色の差を見せてくれた、薄紅、薄紫、ミルク色、薄茶の四つの石は、これは日本に持ち帰っても、不思議なことに色あせることがなかった。
一人でいる夜、疲れて心がざらついているようなとき、その石をてのひらのなかでころがしてみる。石とわたしは、どこまでも混ざりあわない。あくまでも石は石。わたしはわたしである。石のなかへわたしは入れず、石もわたしに、侵入してこない。その無機質で冷たい関係が、かえってわたしに、不思議な安らぎをあたえてくれる。
人間関係の疲労とは、行き交う言葉をめぐる疲労である。だから、言葉を持たない石のような冷ややかさが、その冷たいあたたかさが、とりわけ身にしみる日々があるのだ。こうしてみると、わたしだって、充分、アイセキカの一人ではないか。(pp.68-69)
感光生活 (ちくま文庫)

感光生活 (ちくま文庫)

勿論、(比喩ではなく)現実の「石」は、自分のことを「玉」だと思い・そう言い張るなんてことはしないだろう。
また、「愛石」→「愛惜」(p.67)。