全て「保護者」のため?

橋本真澄「学校で怪我をしても感動話にすり替わる  リスクが美談で見えなくなる教育現場の病」http://wotopi.jp/archives/24071


内田良氏*1へのインタヴュー。最近内田氏の「組体操」に関する論説をけっこう読んでいて、拙blogでも採り上げてみようと思っていたのだが、このインタヴューの中で、何故学校で「組体操」が流行るのかということについて、けっこうスペースを割いて語られているので、そのままコピペしてしまおう;


――著書の中でも巨大化した組体操の危険性というものが書かれていましたが、組体操などの感動演出が増加した背景というのはどのようなものなのでしょうか?

内田:それは、おそらく保護者のことを考えているんですよね。本の中でも書いた2分の1成人式*2もそうですけど、保護者に喜んでもらえてなんぼだというところがあるんです。大学進学率が高まるにつれて、先生が必ずしも高学歴というわけではなくなり、それにともない、先生という地位の権威が低下しました。そうすると、いかに保護者の支持を得るかを考えた時に、見栄えのいいものをやって、保護者に感動してもらって、なんとか保護者を巻き込んでいく、取り込んでいくみたいな思惑が出てきます。保護者が喜ぶと先生はかなり安心しますからね。

――生身の子どもたちが行う組体操って本当に危険ですよね。

内田:建築現場だと2mを越えた時点で足場に手すりや命綱などの安全対策が必要だと法律で決まっています。でも、組体操は何もないですからね。最高だと7mくらいの高さになるのに。それを生身の子どもたちで組み上げ、何度も何度も崩れるのですから怪我をしない方がおかしい。教育だからこそリスクが問われなくなっていて、まさに「教育という病」なのです。

――怪我をした子どもを美談に仕立てる風潮も怖いですよね。

内田:そうですね。怪我をすれば、入院しているところに手紙を持って行き、「誰々ちゃんのためにみんな頑張っているよ」と。そうすると親も子も涙するという具合です。不慮の事故とか、そもそもやっちゃいけないもので怪我しているという発想も全部消えていって、感動話にすり替わっているんです。教育現場の美談をつくる能力というのは本当にすごいです。

常々疑問に思っていたのは、何故最近になって「組体操」が流行り始めたのかということ。1961年生まれの私は学校教育で「組体操」をさせられたという経験が全くないし、同世代でしたという話も聞いていない。さらに、私よりも10歳上の人、10歳下の人でも、「組体操」をさせられたという話は聞いたことがないのだ。数人、創価学会の信者の事例はあるけど、それは話が別。
内田氏の答えは、何だ! とちょっと拍子抜けしてしまった。昔(といっても、その話を聞いたのは1980年代だが)、筑波研究学園都市では、親がみな高学歴で、教師をなめていて、教師の権威が成立しがたくなっているという話を聞いたことはある*3。そういうのが、「研究学園都市」のような特殊事例じゃなくて全国区的、一般的な問題になったのは何時頃のことなのだろうか。内田説からすれば、保護者の平均学歴が上がれば上がるほど、「組体操」をする可能性は高くなる? また、大学進学率が高い大都市圏の学校*4の方が「組体操」をする傾向が高い?