盧湾区なくなる

兪正声:要平穏有序高効地推進黄浦、盧湾両区”撤二建一”工作」『東方早報』2011年6月9日
李偉「”毎次調整変遷都是為発展服務”」『東方早報』2011年6月9日


上海市の南匯区が浦東新区に合併されたのは2009年のことだが*1、今度は浦西側の盧湾区が黄浦区に合併される。
李偉の記事には上海市内部の行政区分の変遷が言及されているので、少しメモしてみる。
1949年に中華人民共和国が建国された頃の上海市は30の「区」からなっていた。「市区」が20に、「郊区」が10。「市区」は面積では14%、人口では84%を占めていた。20の市区は、黄浦、老閘、邑廟、蓬莱、嵩山、盧湾、常熟、徐匯、長寧、静安、新成、江寧、普陀、閘北、北站、虹口、北四川路、提籃橋、楡林、楊浦。10の郊区は、新市、江湾、呉淞、大場、新芤、高橋、真如、龍華、楊思、洋芤。1952年には、 洋芤区が東昌区と洋芤区に分割され、江湾区が新市区を吸収する。また、1954年には水上居留民を統括するために「水上区」が設置される。1956年には、「区」は15の市区と3つの郊区に削減され、「水上区」も廃止される。 市区は、黄浦、徐匯、閘北、虹口、邑廟、盧湾、長寧、新成、蓬莱、江寧、普陀、提籃橋、楡林、楊浦、東昌。郊区は、東郊と西郊と北郊。1958年には、江蘇省の嘉定、宝山、上海、川沙、南匯、奉賢、金山、青浦、松江、崇明の各県が上海市に組み入れられる。東昌区と東郊区が合併して浦東県になり、西郊と北郊の各区も廃止され、農村部は上海、嘉定、宝山の各県に編入され、都市化が進んだ部分は隣接の各区に編入された。1960年には、江寧区と新成区が静安区に吸収され、邑廟区と蓬莱区が合併して南市区になり、提籃橋区と楡林区が廃止され、虹口区と楊浦区に編入された。また、宝山県と上海県の一部が呉淞区、閔行区になった。1961年には浦東県が廃止され、農村部は川沙県に編入され、都市部は楊浦区、黄浦区、南市区に編入された。1964年には、閔行区と呉淞区が廃止され、それぞれ徐匯区と楊浦区に吸収された。1980年には、楊浦区の一部、宝山製鉄所の周囲に呉淞区が復活し、また閔行区も復活した。1988年には呉淞区と宝山県が廃止され、宝山区となった。1992年に浦東新区が成立。浦東新区は旧川沙県と三林郷(上海県)、黄浦区、南市区、楊浦区の浦東部分を含んだ。また、この年に嘉定県が嘉定区になっている。1997年には金山県が金山区になっている。2000年には南匯、奉賢、青浦、松江が県から区になっている。
今度なくなってしまう盧湾区についての記事として、


熊月之「回望盧湾:上海的革命之地、文化之地」
周雲「”這是一個気質優雅的地方”」


があり。
さて、盧湾は「盧家湾水道」という水路だった。場所は現在の泰康路の南側辺り。1945年に国民党政府が「盧家湾区」を設置し、共産党の「上海市軍事管制委員会」も「盧家湾区」を受け継いだが、中華人民共和国成立後、「家」が取れて、盧湾区になった。