女人時間

先日、淮海路の「愛普生影藝坊」*1で、肖全「女人時間(Women Time)」*2を観た。
1990年代に撮られた、所謂「明星」と呼ばれる女性たちのポートレイト。例えば、鞏莉、艾敬、朱哲琴など。これらは中華圏の藝能界に親しんでいる人にとってはお馴染みであろう。また、作家の王安憶のポートレイトもある。何れもモノクロで、これらの女性たちが中国の特定の時間・場所(例えば、北京とか上海とか成都とか)に存在していたこと、或いはこれらの女性たちが存在していた時空としての中国の証言になっている。特異なのは、庭先の椅子に腰掛け、開いた本を読んでいる1人の無名の老女の写真。これは肖全氏自身の祖母であるという。キューレーターの願〓*3は、この「祖母」こそ、肖全氏の「女人照片的原型(archetype)」なのだという。それはともかく、この1枚の写真の存在によって、他の写真或いは全体の意味が変容してくることはたしかだ。アートの難しさ、それは正確に言えば、アートの経験を言語に変換する難しさなのだが、それは写真のような、あからさまに写実的な作品においてこそ、直面されるものだ。
「愛普生影藝坊」では、「超級80年代」も開催されている。これは1980年代生まれの中国人70人のポートレイト。