ジャッキー吉川

NHKの報道;


ジャッキー吉川さん死去 「ブルー・シャトウ」が大ヒット
2020年4月21日 22時26分


「ブルー・シャトウ」などのヒット曲で知られる人気グループサウンズジャッキー吉川とブルー・コメッツ*1でリーダーを務めたジャッキー吉川さん*2が、群馬県内の自宅で亡くなりました。81歳でした。

ジャッキー吉川さんは東京の出身で、昭和33年、「ブルー・コメッツ」にバンドボーイとして加わり、下積みを経てドラマーとして正式にグループに参加しました。

その後バンドリーダーを任されてグループは「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」となり、昭和42年に発表した「ブルー・シャトウ」が大ヒットしました。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」はNHKの紅白歌合戦に3年連続で出場するなど、当時人気を集めたグループサウンズの中心的な存在となりました。

グループは昭和47年に解散しましたが、平成13年に活動を再開し、ジャッキー吉川さんは各地でコンサートを開くなど音楽活動を続けながら後進の育成にもあたっていました。

所属事務所によりますと、ジャッキー吉川さんは群馬県内で1人暮らしをしていて、20日自宅で倒れているところを訪れた関係者が見つけ、死亡が確認されたということです。81歳でした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200421/k10012399641000.html

GSが日本社会を席捲したのは小学校低学年の時代。私の同性代というか、±5歳くらいの人たちはみんな「ブルー・シャトウ」を憶えている筈。「もりとんかつ/いずみにんにく/かこまれてんぷら」。1960年代のNHKは長髪の男性の出演を禁止しており、ブルー・コメッツが「NHKの紅白歌合戦に3年連続で出場」できたのもメンバーの頭髪が短かったからだということが言われているけれど、どうなのだろうか。たしかに、GSの中でもブルー・コメッツだけ雰囲気がかなり異なっていた。例えば、GSというのは一般的には長髪で、ブラス・バンド部員が着ているようなジャケットを着ていたのだけど、ブルー・コメッツは普通の背広だった。
ところで、ブルー・コメッツのメンバーで、後にフィンガー5の「恋のダイヤル6700」やシャネルズの「ランナウェイ」を作曲した井上忠夫井上大輔*3は2000年5月に自死していた*4。享年58歳。今の私よりも若かった!