久永強という人

堀江敏幸「体験の角度について」(in 『定形外郵便』*1、pp.78-80)


曰く、


久永久米強は一九一七年、熊本に生まれた。三一年、十三歳で満州に渡り、四四年に召集されて、戦後、四九年までを捕虜としてシベリアで過ごしている。すべてが凍りつく北の奥地での過酷な強制労働を生き延び、帰国後、時計や光学機器の修理の仕事に従事しながら、六十歳を機に絵筆を握った。敗戦からほぼ半世紀が過ぎようという九二年、「戦争の非人間性の「いけにえ」となってなにひとつ報われることのなかった、ひとりひとりの事実を」証し、人々の記憶に刻むため、シベリア時代の絵を描くことを決意する。以来、二年のあいだ一日も休むことなく制作をつづけ、四十三点の作品を完成させた。
そこには、見ているだけで指先や頬に黒い煤がこびりついてきそうな香月泰男*2の世界の対極に位置する沈黙がある。極寒と飢餓と死に直面し、皆が人としての形を失いかけているなか、久米強は、みずから葬った仲間たちの姿を記憶の凍土から静かに取り出してみせた。その結果、個々の情景は、悲惨さから最も遠い色合いで定着されることになった。鎮められた怒りが悲酸さを覆い尽くし、むしろ素朴であたたかい空気を表出させている。「いけにえ」を強要した力と愚かさに対する強い否定が、絵としての完全な肯定に包まれて、一種の幸福にさえ近づいていた。(pp.78-79)
「シベリア抑留体験」一般について。

シベリア抑留体験*3は、抑留された者の数だけある。その厳しさの内実も、置かれた環境や立場によって異なっていた。そもそも、シベリアに至り着くまでの経緯が一律ではないのだ。若い頃の私は、この一律ではない道筋のうち、自分自身の意志と、その意志を操る得体の知れない不穏ななにかによって極北に連れて行かれる受け身のありように、「非人間性」に残されたわずかな抵抗の可能性を認めようとしていた。第三者に責任を押しつけずに自分で対処し、対処の方法そのもにによって贖罪を果たす。踏み外しをどこかで正当化しようとする無意識の逃げ道を設けていることに、うすうす気づいているからこそ生じる判断停止に似た状態を責めるよりも、むしろ正直さのあらわれと見なしておきたいと考えていたのだ。(pp.79-80)
「久米強」という人についてはネット検索しても、殆ど情報がなかった。