「散歩」と言えるのか

究極Q太郎*1「散歩の即興、気候変動とカラスの団欒と」https://book.asahi.com/article/16469118


曰く、


散歩をよくしていた頃、仕事がある日は、それが午後7時に終わってから歩き出し、午後11時に帰宅するように目処(めど)を立てて歩いていた。私の仕事は、地域でアパートなどを借りて一人暮らしをする重度障がい者の訪問介護で、たいがい障がい者の介護をしていると言うと、施設で働いていると思われるのだが違う。そんなこともあり、働きに行く場所も一か所ではなく、利用者それぞれの家で、それがあるのも、東武東上線の上板橋、西武池袋線沿線の大泉学園、ひばりケ丘、東久留米とその日ごとに異なっていた。そこから当時住んでいた東村山市の秋津の家まで歩いて帰るということをしていた。

歩きだけで一番距離が遠かったのは、大泉学園から秋津の五駅分の距離を歩く行程だったが、それでも四時間はかからない。いつも歩いていると最短の道などすぐ分かってしまい、歩き慣れればなれるほど、目的地までかかる時間が短縮されていくものである。あらかじめ午後11時に着くように、四時間程かけて帰ると決めておくというのは、その最短の道から逸(そ)れて逸れて時間を稼ぐということを意味する。私はそれを「散歩のインプロヴィゼーション(即興)」と呼び、デタラメに歩くことと解したが、時には迷ってしまうということがあった。

また、

休日は朝9時頃には出かけて、午後7時、8時ぐらいを目処に帰る。歩いてみたい町まで電車を使っていき、そこからはデタラメに歩いて何処(どこ)かの駅にたどり着く。後の行程は電車を使う。休日によく行っていたのが、中央線の国分寺にあるカレー屋さんで、新聞を読みながら食事をし、その後四、五時間かけて歩いて帰っていた。それもまた道をデタラメに歩き、時間を稼いでの四、五時間だった。私の散歩には、路上にいる時間をできるだけ長くするという目論(もくろ)みがあった。そうやって、できるだけ散歩に耽(ふけ)っていられる楽しい時間を引き延ばすのである。
その「散歩」の目的は快楽なのだろう。だからこそ、「路上にいる時間をできるだけ長く」しようとし、「できるだけ散歩に耽っていられる楽しい時間を引き延ば」そうとしているのである。しかし、平日も休日も、寒い日も暑い日も、晴れの日も雨の日も、毎日「四時間程」歩くというのは、ハードな感じがする。「散歩」というにはもっとお気楽なイメージを持っているのだが。これもルーティンと言われるなら、仕方がない。

今年の1月、東京駅から「ディズニーリゾート」まで4時間かけて歩いたという人を紹介したが*2