「意外」

すみこ*1「『新しい人よ眼ざめよ』を読み、虚構と現実の交わりについて考えた」https://there-there.hatenablog.com/entry/2025/05/16/223742


大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』*2について。
少し引用してみる;


本書を読んでいく中で、わたしが抱いていた大江健三郎のイメージはすぐさま崩れ去った。東大卒のサルトルで卒論を書いたインテリ小説家、というところから、あまりいいイメージを持っていなかった。文体も硬いし。なんか……ごめんなさい。大江健三郎は立派な父であり、そしてケアをする者だった。

大江は息子が障がいを持ってこの世に生まれ落ちたその日から、彼と共に歩む中で人一倍苦悩し、喜びを感じてきたようだ。詳細はネタバレになってしまうので割愛するが、本編は時系列順に並んでいるようで、息子が生を受けた頃の心境から、彼が自立するまでを描いている。知的な障がいを持つことから、時に意思疎通がうまくいかなくなることもあるけれど、そんな息子イーヨとのやりとりも愛のある眼差しで描かれている。作家として成熟した時期の作品であり、文体も洗練しており非常に読みやすい。ここ最近のわたしにしては珍しく、購入してからあっというまに読み終えてしまった。


大江自身も、障がいを持つ息子を育て、現実のもたらす重力に潰されそうになった時もあったろう。しかし、傍にはブレイクの詩があった。それが彼の心を支えていた。現実と虚構。虚構が彼の現実を支え、そして彼の現実さえも変容させていく。なにが現実でなにが虚構なのか。現実と虚構の境界は曖昧になり、ブレイクの詩は時に啓示や予兆のように大江の現実を導く。 わたしが突き放していた虚構というものは、案外、現実と陸続きなのかもしれない。人々が虚構である物語にこんなにも熱中するのは、ただ辛い現実からの現実逃避として摂取しているだけではなくて、それらが自己の現実を変えてゆく力を持っているからなのかもしれない。

現実と虚構。境界は曖昧で、夢だと思ったものは実はわたしの未来なのかもしれない。

是非この方には、大江の『個人的な体験』*3も読んでいただきたい。