綿矢りさ*1「眼帯のミニーマウス」(in 『嫌いなら呼ぶなよ』、pp.7-71)から。
「ソーサー」と「ティーカップ」という比喩。
大学終わって地元帰ってきて、地元の会社に就職すると、美容整形外科は都内ほど充実していないけど駅前に何軒かあったから、給料が入るとそこを順繰りに通って、キャンペーンを利用しながら少しずつ顔面のお直しをくり返した。切ったり塗ったりはしなくて、注入の軽いやつ。モニターといって目を黒戦で隠して宣伝用の写真を撮らせてあげると半額近く安くなったので、どんどん利用した。大手術はまだしたことなくて、やりすぎはよくないなと思ったのは、整形の先生や受付の人を見て、顔を整えすぎて、顔は目鼻立ちのクッキリした大人なのに身体は肩幅が狭くて頼りない子どもみたいに見える人がいるのに気づいたからだ。顔含む頭部はソーサーの上にのっているティーカップとは違い、それだけが特に目立つというわけじゃなく、人間を全体で見た場合、むしろソーサーに該当する身体の部分の方が占める面積の割合が大きいんだから、顔ばかり改造しても全身の持つ雰囲気とどんどんチグハグになっていくからダメだ。(p.29)
そういえば、マグカップが登場して以来、「ソーサー」を使うことは少なくなった。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070822/1187799227 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080312/1205348319 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20141230/1419947745 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160925/1474808027 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170721/1500613345 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/12/19/211209 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/02/03/132334
