ヘボン式へ

「ローマ字表記「ヘボン式」に71年ぶり改定、閣議決定…千葉は「tiba」から「chiba」に」https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20251216-GYT1T00128/



政府は昨年12月16日に、日本語の羅馬字表記として「訓令式」を止め「ヘボン式」を採用することを閣議決定し、12月22日に内閣告示された。これってそれなりに重要なことだと思うけれど、あまり話題にはなっていなかった。
私は普段からヘボン式を使っているのだが、羅馬字表記について問題なのは、訓令式ヘボン式かということはなく、訓令式でもヘボン式でもない羅馬字表記の観覧だと思う。それは東京大学卒業のエリートにまで浸透して、一部では城内式*1などと呼ばれている。先ずこのような混乱を糺してから、羅馬字表記法の優劣を秤にかけるべきだろう。その際には、羅馬字の国語・国字問題における位置づけを明確にする必要がある。私は羅馬字に片仮名や平仮名と同等の地位は認めず。あくまでも仮名を読めない外国人に日本語語彙の発音を教える記号にすぎないと思っているので、実際の日本語の発音に近いヘボン式を支持している。しかし、羅馬字を国字として仮名と同等のステータスを認めるのなら、話は違ってくる。訓令式には日本語の〈行〉をそのまま保存できるという合理性がある。


sa si su se so
ta ti tu te to


は、

sa shi su se so
ta chi tsu te to


と違って、一続きの〈行〉であることを直観的に表現することができる。
また、発音主義のヘボン式では、新橋と新宿は


shinjuku
shimbashi


と(同じ漢字なのに)区別されることになる。当然、仮名では、


しんじゅく
しんばし


と区別されない。このように仮名としては同一であるが、羅馬字では区別されるという事態も起こってくる。
ところで、〈行〉の保存ということでは、正仮名に(訓令式羅馬字とは別の意味の)合理性が現れている。
例えば、言うは、現代仮名遣いだと、その活用は


いわない
いいます
いう
いうとき
いえば
いえ


となる、一見すると、あ行で活用しているように見えるのだが、未然形(いわない)はわ行で、ここでは行が壊されている。しかし、正仮名だと、


いはない
いひます
いふ
いふとき
いへば
いへ


と、は行で一貫している。これは歴史的にいえば、最初はは行*2で発音していたのが、わ行に変わり、さらに子音のwが脱落し、現在のようなあ行になった(というか、わ行において、わだけ子音が残った)*3
実際、現代仮名遣いは正仮名に寄生していか存立しえない・。現代仮名遣いで、助詞の




と書くし、大きいも遠いも、


おおきい
とおい


と書く。これは正仮名で


おほきい
とほい


と表記されていたからである。
助詞の権にせよ、おおきいにせよ、(発音主義の)羅馬字では(訓令式でもヘボン式でも)その区別は消えてしまう。
仮名遣いの発音主義を徹底しようとして、へではなくえ、をではなくおと表記した本があった(例えば羽仁五郎の『ミケルアンヂェロ』)。そこで。長音はどう処理されていたかは知らない。発音主義に従えば、日本語の長音は棒引きで表すしかないのだが。