秋葉剛史『形而上学とは何か』

秋葉剛史『形而上学とは何か』*1を数日前に読了した。


はじめに


序章 形而上学とは何か
コラム 「形而上学」の語源
第1章 性質と類似性
第2章 因果
コラム 必要条件・十分条件必要十分条件
第3章 部分と全体
第4章 「もの」と「こと」
第5章 時間と様相
第6章 人の同一性
第7章 自由


さらに学びたい人のための文献案内
あとがき
索引


大雑把に言うと、形而上学の研究対象となるのは、私たちが何かを考えたりおこなったりするときにつねに前提となっているような、この世界のごく基本的な特徴です(ここで「世界」というのは、地球上のものに限らず、実在するものすべてからなる全体のことです。(略))。
たとえば私たちは、この世界には時間と空間というものがあって、一般にものごとはそのなかである一定の順序で並んだり互いにある距離をもったりする、ということを大前提に暮らしています。このことは、あまりにも当然でふだん意識することもないでしょうが、その前提なしには、明日会う約束をしたり、過去を懐かしんだり、旅行の計画を立てたり、等々のことは一切意味をなさなくなってしまいます。
また同様に、この世界には因果関係というものがあって、ある種のものごとは他のものごとの原因となってそれを引き起こす、ということも私たちの生活の大前提です。このことを前提しないことには、健康のために運動したり、部屋を暖めるためエアコンをつけたり、頭痛を鎮めるため薬をのんだり、等々の行いもやはり意味不明になってしまうでしょう。
このように、時間や空間や因果関係というものは、私たちのさまざまな活動にとっての暗黙の大前提と言うべきものであり、ふつう私たちの関心がそれら自体に向くことはまずありません。これに対し、形而上学者はまさにそれらの大前提に関心を向け、時間や空間や因果とはそもそも何なのか、と問いかけます。つまり形而上学者は、時間や空間や因果関係があるとはそもそもどういうことか、それらは私たちの心から独立に存在するものなのか、それらを何らかのより基礎的な者から説明することはできるのか、といった問いを発します。そしてそれを通じて、私たちが時間や空間や因果としてふだん理解しているものの「正体」、つまりそれが本当のところ何なのかを明らかにしようとします(また同様の仕方で、「物」や「性質」や「可能性」といったものの正体を明らかにしようとします)。(pp.4-5)