「ウチ」と「ソト」とコロナ

鈴木英生*1「「ソト」の批判を懸念する「ウチ」 磯野真穂」『毎日新聞』2022年11月4日


「日本のゼロリスク文化」を巡って。
医療人類学者の磯野真穂さん*2へのインタヴュー。
「病気」には「疾病」という側面と「病い」という側面がある。「「疾病」は病気の生物的理解を、「病い」は「疾病」を人々がどう認識し、対応するかを指す」。「疾病」というよりは「病い」としての「新型コロナウイルス」。


新型コロナウイルス自体に、国ごとの違いはないが、対応面では、時間がたつにつれ大きな違いが出た。日本は、感染リスクへの恐れが相対的に弱まらず、必要か怪しい対策を継続してきた。その象徴が、外せないマスクだろう。
日本では国など「上」の求める対策よりも強い反応が、草の根から生成されがちだ。明確に決めたものではないから、やめどきがわからない。たとえば、コロナ第7波で国は行動制限をかけなかったが、講演会の中止などは続いた。この場合は会場内でのマスク着用や終了後の会食を控えるよう呼びかける程度で十分だったはずだ。

日本は、集団の「ウチ」と「ソト」の意識が強い。職場で高性能のマスクを使う医師も、内輪の飲み会では大声でしゃべることがある。そして、リスク意識は、「ウチ」が「ソト」と触れる場面で強くなる。(略)
ある看護師は「感染したら病院に迷惑がかかる」と話した。懸念の一つは、同僚の負担増だけでなく、「感染を広めたと『ウチ』が『ソト』から批判されること」だ。こうして「和をもって極端をなす」事態が続く。
ただ、全てのリスクに敏感になっているわけではない。

見逃されるリスクも多い。以前、新しく出た、血栓をできづらくする経口抗凝固薬の副作用で半年のうちに数人が亡くなったが、大きなニュースにならず、この薬は使われ続けている。より身近な例は餅だ*3。餅の窒息死は例年数百件もあるが、あまり気にされない。
餅をお年寄りが食べるときは、家族が注意して見たり、小さく切ったりすることもあるだろう。こうしたほどほどの対策で、さまざまなリスクと付き合うのが妥当だ。と言ったところで、特定のリスクだけをゼロにしようと暴走する日本のくせは止まらない。
磯野さんのリスク諭としては、例えば『他者と生きる』をマークしておく。