歴史的起源問題

以前にも、関東の大学では「年生」と謂い、関西の大学では「回生」と謂うという問題を取り上げたことがあった*1
その歴史的な起源についてのNHKの取材;


泉本亮太、木下央之「関西の大学では「○回生」と呼ぶのなんでなん?」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240510/k10014442921000.html


京大の西山伸氏*2によると、「回生」という言い方は、明治43年の京大学内雑誌『以文會誌』に遡ることができる。


西山教授によると、明治期に京都大学東京大学と異なる教育方針を打ち出したことが、この呼称を使うようになったのではないかと説明します。

東京帝国大学では、国家の中枢を担う官僚などを育てるため、1年ごとに履修科目が決められていました。

そのため「学年」に対する意識が強く、「1年生」、「2年生」といった呼び方がされたといいます。

一方、学生の自主性を重んじた京都帝国大学は、在学中に一定の科目で単位を取得すれば卒業できる「科目制」を採用しました。

そのため、学年ではなく、在籍の年数を「回」で表したと言うのです。


京都大学 西山伸教授
京都大学の場合は、必修の科目を大幅に減らして学生に選択の自由を与え、学年には基本的にはこだわらない教育システムを導入しました。そのため、大学に入ってから何年目という意味で『何回生』ということばを導入したのではないかなというふうに考えています」
また、立命館の重要性;

日本近代史が専門の山崎有恒教授*3に話を聞くと、京都大学が由来だという説を追認しつつ、「○回生」という呼び方が定着したのは、立命館大学が果たした役割も大きいのではないか、と教えてくれました。

どういうことなのでしょうか。

山崎教授によると、立命館大学の創立当時の理念が関わっているといいます。

明治33年に「京都法政学校」としてできた立命館

一部のエリートだけでなく、多くの若者が働きながらでも高等教育を受けられるよう、夜間学校として設立されたという特徴があるといいます。

ただ、設立当初は自前で教授を集められず、講義をしていたのは京都大学から派遣された教授たち。

その試験もハイレベルなものだったということです。

立命館百年史」によると、はじめの年に入学した305人のうち、卒業できたのは2割に満たない57人。

何度も留年する学生が続出したといいます。

1年生を、2回も3回も繰り返す学生が出てきたため、徐々に「学年」への意識が薄まっていったのではないかというのです。


立命館大学 山崎有恒教授
「当時、『ちょっと厳しいぐらいの教育をしないと、社会に通用する有用な人物は育てられないぞ』という思いがあったんでしょうね。留年する学生たちをどうやって把握するかと考えたときに、『○回生』というシステムが非常にフィットしたんだというふうに考えられると思います」
山崎教授は、こうした立命館式の教育システムがその後に誕生した関西のほかの大学に取り入れられた結果、「○回生」という呼び方も定着していったのではないかと考えています。
ただ、立命館から関西一円に広がった経緯はまだわからないのだった。