中西太

東京新聞』の記事;


中西太さん死去 「怪童」西鉄黄金期の強打者
2023年5月19日 07時03分


 プロ野球西鉄(現西武)の強打の内野手として黄金期を支え、打撃指導でも定評があった中西太(なかにし・ふとし)さん*1が十一日午前三時三十八分、東京都内の自宅で心不全のため死去したことが十八日、分かった。九十歳。高松市出身。告別式は家族で行われた。
 甲子園大会にも出場した香川・高松一高時代から豪打で「怪童」と呼ばれ、一九五二年に西鉄入りして新人王を獲得。三原脩(おさむ)監督の下、稲尾和久豊田泰光らと西鉄黄金期を築き、五六年から三年連続の日本一を支えた。
 無類の飛距離を誇った本塁打で人気を集め、五三年は36本塁打、86打点の二冠。当該タイトルを二十歳で獲得したのは二リーグ制となった五〇年以降の最年少記録で、五三年達成のトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁以上)も史上最年少。本塁打王は四年連続を含む五度、首位打者に二度、打点王に三度輝いた。五六年はパ・リーグ最高殊勲選手(MVP)に選出。三塁手ベストナイン七度。
 六二年に監督兼任となり、六三年にリーグ優勝を果たすなど、現役引退する六九年まで西鉄で指揮を執った。日本ハム阪神でも監督を務め、ヤクルト、近鉄、巨人、オリックスなどでコーチを歴任。打者育成の手腕は高く評価され、元ヤクルト監督の若松勉らを一流打者に育て、イチローも指導。一線を退いた後も臨時コーチとしての要請が後を絶たず、宮本慎也岩村明憲らを教えた。九九年に野球殿堂入りした。
 選手として通算1388試合に出場して1262安打、244本塁打、785打点、打率3割7厘。監督では代行を含めて通算748勝811敗81分け。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/250883

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「“怪童” 中西太さん死去 90歳 プロ野球西鉄で活躍」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230518/k10014071051000.html
楊順行「追悼・中西太さん。「ベンチがアホやから……」事件の真相は明かせない」https://news.yahoo.co.jp/byline/yonobuyuki/20230519-00350074


中西さんの現役引退と前後して、ライオンズの絶頂時代は終焉し、八百長事件(「黒い霧」事件)*2が発覚し、1970年代の低迷時代に突入し、遂には北九州を去って所沢へと移ることになる。
「真相は明かせない」としているが、江本孟紀*3が罵倒したのは中西さんだったか。