Via https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2022/11/23/105544
「なぜリベラルは嫌われるのか」というトピックが一時TLを埋めていた。
長谷川晴生氏による答え;
「なぜリベラルは嫌われるのか」への一つの有力な解答は、否応なしに社会がリベラル化しているから、ではないの。いかに保守政権が続いても、我々は男女共同参画を推進します、と言わねばならない。一方、昭和中期には、なぜ家で妻を殴ってはならないのか教えるのは、左翼に対しても至難の業であった。
— hhasegawa (@hhasegawa) 2022年11月19日
前述(https://t.co/cqXTyrJMOH)のように、人権や近代法体系は「普通の日本人」の感覚と衝突する。にもかかわらず、社会はますます人権や近代法体系に依拠してゆく。このストレスの捌け口が、ツイッター買収者や前大統領のような外国のカリスマの崇拝や、手近な「リベラル」叩きに向かうのであろう。 https://t.co/EFPLrVzKDM
— hhasegawa (@hhasegawa) 2022年11月19日
究極的には、右派カルトの主張は、メシア崇拝など核心を伏せる限り、平均的日本人の通俗的道徳観念と衝突せず、素朴に「よいことを言っている」と見なされる土壌があるのだと思う。一方、人権や近代的法体系は外来の「西洋思想」であり、勉強しなければわからず、そして大抵の人間は勉強が嫌いである。 https://t.co/THKE3nFYvF
— hhasegawa (@hhasegawa) 2022年7月12日
これは別に日本特有の現象ではないだろう。反リベラル的バックラッシュ*1はグローバルなものであり、トランプも統一協会もプーチンも習近平も安倍晋三も、そのローカルな波頭にすぎない。
社会や文化の「リベラル化」と反リベラル的バックラッシュの双方を可能にしている条件は所謂伝統的秩序の揺らぎであろう。安倍晋三殺しの山上徹也の母親が統一協会の信者になったことの意味についてはあまり話題になっていない。そもそも日本の大人の多くは、大都市及びその近郊では弱いかも知れないけれど、(私もそうだけど)墓という柵がある。だから、日本人の大人が改宗することは難しいとされてきた。基督教でも新宗教でも。だから、どの教団でも、そうした柵から自由な大都市及びその近郊の若年層を布教のターゲットとしてきた。山上徹也の家は地方都市のブルジョワジー。そういう階層の人は一般庶民以上に墓という柵を引き受け、菩提寺と神社をコアとした地域の伝統的宗教的秩序*2を支えることが期待されていた筈で、こうした地域社会は、国家権力を牛耳る保守政党の基層的な支持基盤にもなっている筈なのだ。統一協会が地域社会に浸透し、ブルジョワ家族に食いつくというのは、その地域社会の伝統的宗教秩序が揺らいでいるということなのだ。破壊的「カルト」から家族や個人を守っていたのは非「リベラル」な遺制だったという逆説。
*1:See eg. https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/08/101643 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/08/06/110749 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/08/08/091228 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/08/18/025235 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/09/02/033305
*2:欧米の基督教圏では、教区(parish)の秩序に相当する。