「怖い話」の話

いしかわじゅん*1「恐怖とユーモア」『毎日新聞』2022年4月3日


花輪和一『呪詛』を巡って。


怖い話が苦手だ。漫画だろうと小説だろうと映画だろうと、なるべく避けて暮らしている。でも、花輪和一は読んでしまう。ああ嫌だ嫌だと思いながら、ページをめくってしまうのだ。
花輪和一が描くのは、主に怖い話だ。しかし、いわゆるお化けや怖い現象で怖がらせるホラーではない。手足や内臓の飛び散るショッカーでもない。描かれるのは、人の心だ。人の心に巣くう悪心だ。恨みや妬み、現世に残してきた未練や無念。そういった本来目に見えないものを、緻密な描線で視覚化する。人間の業が、蠢く毒虫として描かれるのだ。
その世界は、徹底的に悲惨だ。救いがない。不幸に生まれて不幸を背負い、恨みを残して不幸に死んでいく。その恨みは得体の知れない生き物となって、また次の不幸を生む。こんな悲惨な話はない。

(前略)花輪和一の怖い漫画には、美しさがある。本来存在するはずのない、清らかさがある。そして、信じられないことに、悲劇の裏にはユーモアがあるのだ。
(略)
それは、怖がるべきなのか、それとも笑っていいのか。この微妙な笑いが、恐ろしさをまた増幅させてもいるのだ。
楳図かずお伊藤潤二を挙げるまでもなく、優れた恐怖はユーモアで裏打ちされている。花輪和一の恐怖もまた、餡子に入れた微量の塩のように、笑いで一層増幅されるのだ。