「あの世でもこの世でもない場所」

高橋咲子*1「この世とあの世のあわい」『毎日新聞』2022年1月30日


川上弘美『真鶴』*2の舞台を巡って。


主人公、柳下京は母と娘の3人で東京に暮らす文筆業の女性。瀬戸内海に近い町で生まれた夫の礼は13年前に出奔したまま行方が分からない。彼女は取りつかれたように、東京と神奈川県の西端にある真鶴を何度も往復する。
〈中央線に乗ろうとしていたのに、どうしてか東海道線に足が向かい、乗った。熱海まで行って帰って、それでもまだ中央線なら電車はあると思っているうちに、いやに心ぼそくなって、ずいぶん我慢したがしまいに降りてしまった。降りたところが真鶴だった〉
作中でこの町は近くの熱海とも小田原とも異なり、不穏な空気をまとう。この世とあの世のあわいのような場所で、京は「ついてくるもの」と共にさまよい歩く。
「真鶴半島」の先端部;

切り立った高台、人けのないバスの停車場。歩くうち、作品のあちこちに町の手触りがあることに気づく。だが、輪郭がぼやけた夢のようで、そこは真鶴であって真鶴でない。
長い坂に息を切らせると、鳥の声が騒がしくなってきた。クスノキスダジイが枝を伸ばす。昔から「お林」と呼ばれ、大切にされてきた場所だという。
林を抜けると、岬だ。ほおをかすめる風が心地よい。京はここで幻影を見る。雷鳴がとどろき、さっきコーヒーを飲んだ建物は、土台から崩れ落ちていく。私も急な階段を下りて海辺に出てみた。巨石がごろごろと広がり、賽の河原のように誰かが積んだ石があった。向こうには、しめ縄がかけられた奇岩「三ツ石」が見える。小説はここから生まれたのかも、と思わせる異界のような光景だった。

失踪状態とは、残された人間にとって、あの世でもこの世でもない場所にその人がいるということなのだろう。物語の最後、京は夫の失踪宣告を申し立てる。
その後描かれるのは、光に満ちた美しい春先の情景だ。京は母と娘と一緒に透明な寒天を溶かし、白い杏仁豆腐をつくる。そして上京してきた夫の父や妹とJR東京駅の丸の内口で待ち合わせ、構内で昼食をとる。みなで向ったのは、皇居外苑の和田倉噴水公園*3。水しぶきのきらめきに、京は夫の故郷である瀬戸内の海と、真鶴の海を思う。風が吹き抜け、よどんだ何かはもう心にない。
「岩」ならぬ砂を思った。安部公房の『砂の女*4。「失踪」した男ではなく、夫に「失踪」されてしまった妻の視点で物語を語りなおしたら、どうなるのだろうか?