「視覚」以外

三宮麻由子「深く楽しく感じるために」『あのね』(福音館書店宣伝課)354、2022


三宮さんは『センス・オブ・何だあ?――感じて育つ――』の著者。


昨今、互換や感覚が大切というう話題がよく聞かれます。が、実際に感覚を磨き、感じとる力を生かした生活をするにはどうすれば良いかは、あまり語られていない気がします。耳を澄ませて自然の音を聞いてみようといった内容の本は多くあっても、聞く前に既に自然界の状況が目で見えているので、そこから目を閉じても、ゼロから聞いて風景の大きさを感じることにはなりません。むしろ、目で見て出している答えを耳で確かめる作業に近いのではないでしょうか。
この本は、視覚で捉えて答えを出す前に、体で、耳で、鼻や舌で直接対象の存在を感じる方法を、私の経験から書きました。

私は4歳のころ、目の手術を受けて一日にして光とさよならしました。そこで、3歳までの乏しく幼い記憶を頼りに、目を使わずに世界を捉え直すため全神経をフル稼働させて「感じる」ことに集中しました。見えている人が答えを確かめるために視覚でない感覚を使うのと違い、そもそも答えが分からないところから始まり、答えを見出し、心で感じ取ろうとしたのです。
20代半ば、野鳥の声を250種ほど聞き覚えて探鳥に行き始めたら、感じることが心から楽しくなりました。鳥の声と生態を憶えておいてフィールドに出ると、囀りなど大自然の音や香りから、季節の移ろいや天気、稜線の広さまで感じられるようになったのです。手で触れられない景色や空の雰囲気を知るには人に説明してもらうしかなかった私が、鳥の声や自然の情報を感じることによって、自分の力で、リアルタイムである程度景色を捉え、楽しめるようになったのです。

目で見て分かる答えと、体で感じて分かる答えは、しばしば大きく違います。ある山で木の幹に耳を付けると、木の中からサラサラと小川の流れが聞こえてきました。案内の方に近くに沢があるか尋ねたら、200メートルほど下ればあるといいます。目には見えない沢の音を、私は木の幹を通して聞いたのです。これは、私でなく、木が聞いている音なのです。視覚から自由になるとこのように、空間を超えて感じられることが出てきます。
伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』*1とも関連する。